海

千と千尋の神隠しの海のレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
-
小さい頃、ある水族館へ連れて行ってもらった。この記憶は時系列がはっきりしてないんだけど、確か、両親が離婚した少し後、日帰りの旅行で母に連れて行ってもらったのだと思う。まだ暑さも寒さも感じないくらいの子供のころだったから、あの日が夏だったのか冬だったのか思い出せないんだけど、海岸に人の姿がなかったから、おそらく冬だったんだろうと思う。その水族館は、外の通路から橋を渡って海岸に出られるようになっていた。そんなことは勿論知らなかったから、休憩に外に出たとき、「あのトンネルの向こうは何があるん?行ってもいい?みにいってもいい?」と妹と並んで座ってる母にしきりに聞いて、「いいよ、でもママが見えるとこまでね」っていつもとおんなじ返事を貰って、走ってトンネルまで行った。広くて丸いトンネルを抜けたら、海だった。一面に海だった。いつも見ている海よりもずっと波の音がして、潮の匂いもした。青くて白くて広かった。見渡してみても、ひと一人居なかった。自分の想像できる景色の中にも、そんな海はどこにもなかったから、この世のものじゃないものを見ているような不思議な感覚だった。いつも海に着くと我先にと車から飛び出していたのに、そのときわたしは、「砂浜に足を踏み入れたら、もう二度と帰って来られない」、なんとなく、でも本気でそう思って、ただ母がわたしの名を呼ぶまでのあいだずっとそこに立ち止まって海を見続けていた。

大人になってから、あの海に何度も行った。一度は、水族館のチケットを買ったのに、館内全部すっ飛ばして海まで出たこともあった。わたしは学校で、教科書を読む声が小さいと怒られるような子供だった。楽しくても怒っててもただ俯いて黙り込んでいる子供だった。そんなんじゃ誰にも聞こえないよと先生にも友達にもよく言われた。でも海に行くといつも、大きな声で笑えた、好きな歌を歌えた、言いたいことを叫ぶことができた。母がわたしの名前を大きな声で呼んでくれた、「膝より深く入っちゃダメよ」と言っていた。何度も何度もわたしは、いろんなひとに、幽霊が怖くないという話をしてきたけれど、それはあのころのわたしの中にあった、朝と夜や鳥と魚くらいに違うわたし自身の二つの姿が、まるで人形と幽霊みたいだったからなのかもしれない。幽霊はどこにでも居て、どんなものにも名前があって、海にも植物にも声があった。かれらはわたしだけにそっと優しい風を吹かせてくれた、そのときのわたしはきっと、名前も声も魂も持つ、幽霊だった。

あなたはわたしに「海はたったひとつしかないよ」と言った、わたしはあなたに「そして海岸は海を愛するひとの数だけあるよ」と言った。千尋はリンに「海みたい」と言った、リンは千尋に「雨が降りゃ海くらいできるよ」と言った。同じ日は二度と来ない。でも思い出すことはできる。死んだものには二度と会えない。でも名前をうしなわないかぎり、いくらでも生き続けることはできる。あなたがおぼえているかぎり、わたしが忘れないでいられることがある。わたしがおぼえているかぎり、あなたが忘れないでいられることがある。いつまでもいつまでも懐かしくならない記憶がある。あれがわたしの命。あなたのくれた名前。

宮崎駿と久石譲のジブリで育った世代であることを、今夜も泣きたいくらいに幸せに思っています。
海