次男

千と千尋の神隠しの次男のレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
4.5
「あ、もう無性に千と千尋が観たい」ってそう思って、借りてきた。なんとなく、ジブリの中で一番好きな千と千尋。なのに、はっきりとなにを伝える映画かわからなくて、最後に観たのはいつだろう、でも歳を取ったいまなら少しは言葉にできるかもしれない。

◆◆

ここ10年くらいで、体力も落ち、勉強した知識も忘れていく中で、習得したのは社会性。人間が溢れる容器の中で、人間と関わって生きていく力。まだまだ発展途上だけど。社会性ってとっても難しい。相手には感情も事情もあるし、大抵の相手との間には金銭・損得が介在する。相容れないふたつの要素を、縫って泳いで、社会を生きるのだ。大げさに、言うと。

◆◆

これは、千の成長の話。で止まっていた認識。をもっと厳密に言えるのかも。
千が学んだのは、社会性の中の、人情と礼節、義理のほう。ドアをノックすること、お礼を言うこと、相手の事情を慮ること、意思を伝えること。はじめは全部できなかった千は、全部できるようになって千尋に戻る。

それらは、ハウトゥとして手に入れることだってできる。「お悔やみ申し上げます」とか定型文だし、奥には偉い人が座るものだし、理由も思考もなく、それをそのまま放てば成立する。でも、本来は、相手を相手と認識して、相手のアイデンティティを意識して、そこからひねり出す言動、なのかなって。

相手がいること。相手には事情と感情があって、自分の言動はそれを刺激するのだということ。相手が人間であると意識すること。相手に名前があるということ。相手にも自分にも名前があって、名無し同士ではなく、個人同士で関係をつくること。

名前。礼節には、人情には、名前が必需品なんだなあ。自分のそれと、相手のそれと。誰が大切な人で、自分が誰で、なにが必要で、きちんと見極めること。そのために必要なもの。

カオナシは、それをできない存在。カオのナい彼は、喜ぶであろう物をぶつけて、受け取らせて懐柔=食べる。とても乱暴で、でもときに通用してしまうやり方。それを受け取らなかった千の、その正しさに惹かれる。

◆◆

この物語に悪役はいない。
銭婆が「人情」の象徴なら、湯婆婆は、悪じゃない、強いて言うなら「損得」の象徴で、社会にはどちらも必須、だから『二人で一人前』なんだな。

物語は、成長した千、千尋の頼もしい横顔で幕を引くし、きっと千尋は新しい社会で正しく生きられるんだろうな。でも、千尋が学んだのは、前者だけだから。きっとこれからは、後者に揉まれて苦しんだり、するんだろうなあ、と人生を思う。

◆◆

世界観のデザインからテーマ性の介在、アプローチから郷愁感から切り取り方、もう何から何まで一級品で、もはやどこまでが狙いなのかもわからない。

千がハクの名前を思い出した理由も、もらった団子を食べさせたら助かると思えた理由も、豚を見て親がいないとわかった理由も、どれも説明しなくてスッと受け入れられる絶妙な塩梅。説明しなくて良いってすら思える。

「なんでこんなに何もかも絶妙なのだろう?」って思ったけど、コペルニクス的転回をするならば、「宮崎駿作品に育てられてきたから」なのかもしれない、なんて思って、偉大さを思い知る。