TOMMY

千と千尋の神隠しのTOMMYのレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
4.3
千尋という名の10歳の少女は、引っ越し先へ向かう途中に立ち入ったトンネルから神々の世界へ迷い込んでしまう。千尋の両親は掟を破ったことで魔女の湯婆婆によって豚に変えられてしまう。千尋は、湯婆婆の経営する銭湯で働きながら、両親とともに人間の世界へ帰るために奮闘する──。

「 今からお前の名前は千だ 」

言わずと知れたジブリの名作だが、大人になってから色々な見方をすると少しだけぞくりとさせられる部分もある。踏み込んだ解釈をしてみようと思う。
まず油屋=風俗の描写である、という考えについてだが、こちらについてはどちらともとれない。しかし千尋の明らかな初潮症状を見る限りそう言ったエロス的表現が全くないとは言いきれない。それならば風俗を描いたとしてもおかしくはないだろう。
次に、家族全員が交通事故で瀕死状態だった、という説についてはあまりしっくり来ない。確かに千尋の父は何かに惹き付けられるように乱暴な運転でトンネルまで辿り着く。しかし最後のシーンで時間がかなり経過していると暗に示している部分があるため瀕死状態から勝手に回復したとは考えにくい。道を間違え、山奥に進むにつれ神々に呼び止められてしまったと考える方が自然。
カオナシについては既に「現代社会の人々に潜む心の闇」と説明されているが、言いたいことを誰かの口を借りてでしか言えない、引っ込み思案なストーカー気質のカオナシは確かに私達の闇を表しているように思える。湯婆婆の過保護気質も、引きこもりが増加しつつある現代の風刺か。
引越しのせいでうじうじと膨れていた千尋が、大人の社会で厳しさを学ぶうちに凛々しい顔つきになっていく変化の描き方が凄い。どの豚が両親か分からなくなる、そんな悪夢を途中で千尋がみるシーンがあるが、彼女が大人の世界の常識に囚われかけているということではないだろうか。本当の名前と記憶を取り戻し、誰かのために自分の判断で行動した千尋はラストシーンで、「この中に両親はいない」と湯婆婆に言い放つ。両親=豚という認識はあくまでこの世界の話であり、現実のものではないからだ。ちっぽけな人間の真っ直ぐな姿に神様たちが喜んでいる姿が何だか微笑ましい。

「 またどこかで会える? 」
「 うん、きっと 」

きっとあれが、私が最初に観た悲哀の物語の締めくくりだったのだろう、と大人になってから気がついた。名残惜しそうなハクの手、振り返りかける千尋のヘアゴムが光る瞬間、その全てが悲しすぎるのに美しい。今でもまさしくジブリ映画の最骨頂と言える作品だろう。