たけちゃん

千と千尋の神隠しのたけちゃんのレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
4.5
今からお前はセンだ!


宮崎駿監督 2001年製作
声優:柊瑠美、入野自由


シリーズ「映画で振り返る平成時代」
今回は平成13年(2001)です。

2001年となると、この話を避けては通れませんね。
9月11日の「アメリカ同時多発テロ」
二十世紀は「戦争の世紀」、二十一世紀は「テロの世紀」なんていう表現もありますが、この事件からスタートした21世紀は、やはり混乱のスタートでした。

最初はテレビから流れてくる映像が現実感に欠けて、本当のことだと思えませんでした。自分の見るものが信じられなかった。

その後、テロ組織アルカイダとその首謀者ウサマ・ビン・ラディン、そしてイラクのサダム・フセインに対する報復としてイラク戦争が起こりますよね。

でも、どんな理由があっても、自分の意を通すために、力による屈服をはかるのは許されません。
テロは論外、でも、報復するも同様。
どちらにも正義はありませんよ。




さて、映画です。
そんな平成13年の興行収入第1位作品、「千と千尋の神隠し」は大ブームでしたよね。
7月に公開されるや否や、映画は空前のヒットで、当時はこれを観てないと国民ではないかのような空気でした。

僕は天邪鬼なので、ちょっと引いて見てたんですよね。でも、やはり観ないと肯定も否定もできないので、やはり遅れてですが劇場に行きました。

その結果は、世間ほどの評価にはならないなぁ……でした。
そもそも、僕にとってのジブリ作品は「風の谷のナウシカ」であり「天空の城ラピュタ」であり、本当は違うけど「カリオストロの城」なんです。
ワクワクドキドキの冒険譚が好きなんです。

だから、好きではあるけど「となりのトトロ」さえもが違う(笑)
そんなわけで、千と千尋には違和感があったのね。



今回、改めて観たら、面白かったんですよ~。
あ~、映画に向かう姿勢を間違えてた~って強く反省。
今作は実によく出来た大人の鑑賞に耐えうるジュブナイルファンタジーでした。



冒頭の千尋は親の転勤でいじける拗ねた子でした。
世間知らずで、まだ自分のことしか考えられない子供でした。
そんな千尋が迷い込んだ世界で、湯婆婆に使われながら成長するという千尋のストーリーです。


また、名前とは人の本質です。
元々、創世記では、神は"光あれ"と言われると、そこに"光があった"と言われるように、名指すことで物の存在が生まれます。名前が付く前は、まだ何ものでもないんです。
名前とはアイデンティティそのものなんです。
そこから、名を奪うとは、その者の本質を奪い、支配することに繋がるのですね。


異世界の扉(今回はトンネル)を抜けてあちらのに入るのはファンタジーの定番です。「ナルニア国ものがたり」や「不思議の国のアリス」を例に出すまでもありませんね。
そして、川の向こうに存在した湯屋は、三途の川の向こうにある彼岸を連想させ、とても仏教的ですし、私たちの住む現世に近接、あるいは重なり合って存在して描かれる彼方の世界となると、上橋菜穂子さん原作の「精霊の守り人」で描かれる現世(サグ)に対する精霊の世界(ナユグ)を思い出しますね。

そもそも、「古事記」や「日本書紀」で描かれる日本の八百万の神は、生きとし全てのものに宿る神です。
ハクの本当の名である"ニギハヤミコハクヌシ"は、コハク川の主であることも示しているが、"ニギハヤミ"とは日本神話に出てくる龍神の"饒速日命(ニギハヤヒノミコト)"を連想もさせます。

そのハクは千尋との出会いの中で名を取り戻し、本来あるべき姿(神の姿=自然の姿)を取り戻します。その千尋はまるで巫女で、ハクを救い、腐れ神を癒し、カオナシの世話をします。姿は違えど、それは「もののけ姫」におけるサンとアシタカを連想させます。首をシシ神に返す選択は、まさに今作での千尋に通じますね。


「千と千尋の神隠し」は、千尋が大人になるための通過儀礼のような話でありつつ、私たちが失ってしまった森羅万象に対する畏敬の念を想起させ、取り戻させるストーリーにもなっていました。

子供でも分かるシンプルなストーリーであるにも関わらず、その描かれた世界は実に豊潤で素晴らしいものでした。その大人版が「もののけ姫」なのでしょうね。深く感心しました!



さて、今回はここまでです。
この話のその先は「もののけ姫」にて。
次回は平成14年の作品でお会いしましょう!




追伸:ジブリ再鑑賞!
2020年7月18日、イオンシネマ旭川駅前

劇場で観るのは公開以来。
作品の評価は変わらなかったな。
今回、劇場で観て、1番評価が変わったのは「もののけ姫」。腰据えてレビュー書こう( ˘ ˘ )ウンウン