けんたろう

千と千尋の神隠しのけんたろうのレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
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自分の名前を大切にしたくなるおはなし。


礼もろくに言えなかった少女の成長物語の中で、そこかしこに息づく日本人の(宮崎駿の)美的観念の視覚化に恐れ入った。例えば「働かざる者食うべからず」になぞられる仕事観念や、言葉に宿るものすなわち言霊などだ。
この美しい精神性を物理的に見せる術には、参ったの一言に尽きる。


そして本作の魅力といえばやはり、舞台の湯屋だろう。
そもそも、旅館というものを嫌う人などそうそういない。ましてや大きく煌びやかで賑やかに、しかし質素で慎ましく美しい、そして不思議な世界観のもとに佇む館である。
「何度でも観たい。何度でも行きたい。」
そう思わせる効果など十二分に、いや二十分に、いや三十分に、いやもう億万分にあろう。
あの非日常は、唯一無二にして普遍的な非日常なのだ。惹かれるのなんてもはや当然である。


しかし最も、最もなのは、やはりやはり、千とハクの主人公二人に違いない。
『天気の子』でもオマージュが捧げられていたあの飛翔シーンといったらもう。もう。もう。宮崎駿監督は僕を牛かキリンにでも変える気なのかしら。
とりあえず本作は、ハクの優しさと男気、そして千尋の心意気と冒険なのだ。
だからこそ『千と千尋の神隠し』は永久不滅の"ガールミーツボーイ"として、興行なんちゃらの頂に君臨し続けるのだろう。

そしてそれを劇場で観るとなると、やはりテレビなんぞでは得られない体験ができるものだ。
この感涙必至、珠玉の作品を上映するために力を尽くした方々へ、心からの感謝を申し上げる。


(余談だが、"子"というのは大人よりも自然に近しい存在と思われる。つまり子が感じる直感的恐怖には、大人は寧ろ従った方が身のためなのだ。冒頭で少し、そんな事を思った。)


(さらに余談…かな。
もはや言うまでもないが、久石譲さんの劇伴がたまらない。あんなに優しく幻想的世界に誘ってくれるサウンドが他にあろうか。
木村弓さんとの『いつも何度でも』と併せて永遠に聴いていたい楽曲である。)