せーじ

スパイダーマン:スパイダーバースのせーじのレビュー・感想・評価

4.6
149本目。
今回は、ちょっと長い前置きから。

自分がこれまで、MCUを初めとするアメコミ系の映画作品のMarkをなんとなく避けてきたのは「どこから観ればいいのか」と「どこまで観ればいいのか」の際限がなさすぎるからだと言ってもいい。
もちろん「全部観ろ」というのはわかるんだけれども、いやいやちょっと待ってくれよと。いきなりそんな事を言ってDVDの山を積み上げられても、それだけでお腹がいっぱいになってしまう。その上なんだかやたらと明るくてド派手な、リア充的な匂いがプンプンしていて、そういうものが心底苦手な自分としては、ヒーロー映画ってどうにも居心地の悪い相容れない世界だと思い込んでいた。
そんなだから、フォロワーの方々が絶賛すればするほど自分の心は離れていき、自分の中でアンタッチャブルな世界にしてしまっていた所があったと思う。
この作品を観るまでは…。

そんなことをグダグダと思う人間ほど、この作品「から」観るべきなのかもしれない。
この作品は、初めてスパイダーマンの世界に触れる人々にも手を差し伸べる優しさや懐の深さがあるのはもちろん、ヒーローとはなんなのか、どうあるべきなのかという根源的な問いの最新かつ最適な答えを堂々と掲げている、素晴らしい作品だったからだ。

そもそも「スパイダーマン」というヒーローは、決して最初から並外れて恵まれた何かを持っていた訳では無い。むしろその逆で、大切な人を失った悲しみを抱きながら、普段は他人とは違うというコンプレックスに悩まされている"何処にでもいる人達"、なんならちょっとボンクラでダメな人達であると言ってもいいくらいだろう。この作品ではそんなヤツらが「伴う責任を果たす」ために、何度もコテンパンのギッタンギッタンにされながら、それでも逃げずに敵に立ち向かおうとするから、ここまで支持されているんだよ…ということがよくわかるようになっている。映像が凄いのは大前提で、そういう作品はごまんとあるけれども、それに溺れることなく手際の良いテンポと交通整理力、そして熱さで最後まで語りきっているのだから、素晴らしい作品にならない訳が無い。

また、喪失する事は不可逆であるということ(だから大切なのだということも含め)を認めきれない敵が、「大いなる力」に伴う責任を放り出して、身勝手に私利私欲に走る姿を描くことで、劇中登場するスパイダーマンたちの姿と徹底的に対比させており、そのキャラクター造形の巧みさと秀逸さに舌を巻いてしまう。そしてそういう敵に「皆で力を合わせて」勝つのではなく敢えて「主人公が独りでオトシマエをつけようとする」決着には思わず感動。
一人の人間の成長譚として、ほぼほぼ完璧な決着のつけ方だったと思う。

「ヒーローは誰にでもなれる」ということを、スパイダーマンたちの出自とビジュアルで示し、さらにその方法を観客に示した、スタン・リー氏のエンディングの言葉も素晴らしいと思いました。
とにかく情報量が凄く、なんならドラッギーな雰囲気すら漂うコミックライクな作画や、様々なスパイダーマン達が集まるカオスさは、劇場の大画面で思いっきり楽しむべき作品だと思います。(続編も観たい…)
初めてスパイダーマンの世界やアメコミの世界に触れる人には自信を持っておすすめしたい作品です。
せーじ

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