垂直落下式サミング

スパイダーマン:スパイダーバースの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

5.0
子供のころから「父に愛されない不安」というのが常にある。勉強しろと怒鳴られたあとに、したくもないキャッチボール、11歳からやらされた車の整備、いちいち説教臭い物言い、喜ぶタメになると思ってるからたちが悪い、夕食のときも顔色ばかりうかがっている、頭の上のほうから響いてくるような声が嫌いだった。
ずっとこんなだったから、社会人になってから嫌に父親面するようになったのが気持ち悪くて、どんな距離感でつきあえばいいのかわからない。そんななので、少年と父親の親子がらみのシーンでは胸が痛くなってしまった。
ただ、学校が嫌で寮から家に逃げ帰っていたとき、同じように壁越しに落ち着いて話をしたことがあったっけか。その時は大嫌いだった声がいつもよりは素直に耳に入ってきた気がする。なにか一枚隔てるのが大事みたいだ。襖の向こう側で、あんな顔をしていたかもしれない。極めて個人的な体験が映画とシンクロしているため、父親とのシーンでは自分の芯に切迫する鋭くも暖かい感覚に揺さぶられていた。
おはなしの舞台は、複数のスパイダーマンが登場する世界。ひとつの次元に呼び寄せられたマルチバースのスパイダーマンたちは、それぞれが違う物語の主人公であるため、絵柄や世界観が違っている。
3DCGのキャラクターと二次元の平面アニメのキャラクターが共存して、色彩豊かな画面のなかでヴィランと対峙していく様子は、アバンギャルドな映像表現として目を楽しませてくれる。
スパイダーマンたちには、それぞれに違った葛藤があって、それぞれに違った犠牲がある。共闘するなかで、思い通りにいかなかった人生の有り様を分かち合い、自身のなかにもある悲しみを拾い上げることで、最後のひとりマイルズ・モラレスは自分の物語の主人公として自立する。なにかを否定したり乗り越えたりして成長するのではなくて、自分や周囲の人間を受け入れることで、彼は自分自身の人生を生きる資格を得るのである。
どこで生まれても、どんな環境で生きてきたとしても、人はより良くなれるし、世界はより良くすることができるはずだ。そんで、志を同じくする善意はどこかで繋がっていて、正しくあろうとする人が、世界のどこかで、或いはどこかの世界で、日々間違えながらも頑張っている。だから君にだってできるだろう。
その人なりの正しさの試行錯誤こそが人生だ。失敗したっていい、下を向くな、向上せよ、そうすれば道は拓ける。わかったよスタンリーじいさん。
でも、こんなの言ってしまえば綺麗事の理想論だ。そんなことわかってる。マンガはマンガだ。そもそも、スーパーヒーロー映画なんて、そんなに真面目にみるもんじゃない。ヒーローだヴィランだなんてのは、所詮はくだらないコミックマガジンの絵空事に過ぎない。現実は作り事ほど甘くない。
そんなつまらなくて退屈な現実のなかにいる我々に、人のこころは向く方向次第で喜びも悲しみも全部をひっくるめて輝きに変えてゆくちからがあるのだと、そう信じて生きろと、そう言ってくれるこの映画が好きだ。