映画漬廃人伊波興一

欲望の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

欲望(1966年製作の映画)
3.9
あらかじめ、というものはどこにも存在しない、とアントニーオニは言う
ミケランジェロ・アントニーオニ「欲望」


あらかじめその相手との甘美な陶酔や官能を頭の中で思い描いていたとしても、いったんその異性と結ばれてしまえば、単純にめくるめく体験に身を任せるだけで、思い描いていたものがちっとも訪れてこない。
自分の愛の理想に訝しく感じ始めた頃、(結婚なんてそんなもんさ)(相手だって普通の人間だもの)(車みたいなもん。購入する前はワクワクするけどお互いに乗っかかれば皆、同じ)などという自嘲めいた諦観に達する。
ミケランジェロ・アントニーオニの映画に接するたび、そんな訝しさに似た思いによく捉われます。
不条理劇なんだから不可解な展開になるに決まってますが、此方が想定していた不条理にちっとも似てくれないからです。
「BLOW Up(引き伸ばし)」という原題どおり、拡大した写真から何やらただ事でない気配を察するカメラマン・デビッド・ヘミングスは駆け回り、盗撮されたヴァネッサ・レッドグレイブは写真を返せと迫るもののあっさりと身を任せ、取り巻くモデルたちも常に乱痴気騒ぎで主人公と乱交パーティーを繰り返す。

乱痴気と言えば、冒頭からいきなり出てくるゾンビメイクの奇妙な集団。

せっぱつまった事案が身近に潜んでいる訳でもないのにヤード・バーズのライブ風景を含めてロンドンという街全体がどこか途方に暮れている感じです。

恋愛や人生がどんなに経験を積んでいても常に不意撃ちの連続であるように「欲望」は常に観ている私たちを途方に暮れさせます。
途方に暮れたのは私たちだけでなく、国際映画祭も大きく揺らいだらしく、1967年カンヌ・パルムドールを見事に受賞。

この大がかりな当惑の波は他の者と違った映画を撮ろうとするアントニーオニの前衛的な傲慢さからきているのか?
そうであるわけがありません。むしろ傲慢なのはあらかじめ想定した不条理で作品に接しようとしている私たちであって、アントニーオニの方は人気カメラマンの主人公が撮った、ある写真にまつわる奇妙な出来事を忠実に現しただけなのです。
アントニーオニにしてみれば恋愛映画や犯罪映画の約束事を器用にまとまあげ、誰もが納得する彩りを添える事の方がはるかに不条理なのかもしれません。

夜に確認したはずの死体が翌朝にはない。
冒頭に登場するゾンビメイク集団が興じているテニスボールがない。

始めから存在していれば全ては事足りるにも関わらずアントニーオニはそれを固く禁じます。
(あらかじめなんてものは、そもそもどこにも存在しない)とでも言うように