優しいアロエ

欲望の優しいアロエのレビュー・感想・評価

欲望(1966年製作の映画)
4.4
〈あるとき“写り込んでしまった”60年代ロンドンの病理〉

 これは60年代ロンドン版『ブルー・ベルベット』または『ロング・グッドバイ』なのではないだろうか?

 現代社会の病理をうっかり覗いてしまったことから始まる不条理なミステリー。M・アントニオーニは、これまでイタリア富裕層の退廃的な生活を描いてきたが、本作では一転、ファッションやカルチャーが目まぐるしく流れていく60年代半ばのロンドンへと舞台を移し、社会の裏側を蠢いていた闇のようなものをフィルムへと焼きつけた。

 本作から強く想起したのは、まず『ブルー・ベルベット』であった。バラが真っ赤に咲いた健全そうな庭をよく見ると、無数の黒い虫が這い回っている。日常に潜む悪夢を象徴する有名な冒頭シーンだ。そして主人公の青年は、切断された耳を偶然拾ったことから不合理なミステリーに迷いこみ、見てはいけなかった病的な世界を目の当たりにする。

 この耳はさしずめ『欲望』における「殺害現場の写真」が姿を変えたものだといえよう。一流カメラマンである本作の主人公トーマスもまた、殺人現場を偶然カメラに収めてしまったがために、社会の裏側で渦巻いていた闇の世界へと引きずりこまれていくのだ。トーマスは職業と快楽の線引きが曖昧になっているため、初めから不健全な世界の住人にも見える。しかし、それをさらに上回るアングラな世界が彼を待ち受けていたのである。

 当時のロンドンはいわゆる「スウィンギング・ロンドン」絶頂期で、音楽や映画、写真、ファッションなど、多岐にわたって文化革命が起こっていた。本作はそんな当時の空気を生きたまま閉じ込めた時代の証言者として高く評価されているようだ。たとえば、後半におけるジェフ・ベックとジミー・ペイジのライブシーンがいまでは貴重らしく、その点から本作は音楽ファンにこそ有名な作品なのだそうだ。また、中野充浩氏の記事(下記リンク参照)によれば、「スウィンギング・ロンドン」はビートルズやローリング・ストーンズ、ザ・フーにも影響を与えたほか、ツィギーやマリアンヌ・フェイスフルといったモデル、ヒズ・クローズやビバ、バザールといったブティックの源流にもなっているのだという。当時のロンドンは、まさに世界的なポップカルチャーの震源地だったというわけだ。

 しかし、本作を観ていると、どこか退廃的な気配も漂ってくる。若者たちはセックスやドラッグに倒錯し、挙げ句の果てには、玉のないテニスに耽っている。60年代後半から世界的に共有されることになるカウンターカルチャーや政治不信、経済不況の予兆がすでに感じられる。その不穏な予兆こそ、トーマスのカメラに偶然にも写りこんでしまった虚実不明の殺人現場の正体だったのではないだろうか。

・中野充浩「欲望〜スウィンギング・ロンドンと60年代ポップカルチャー」
https://search.yahoo.co.jp/amp/www.tapthepop.net/scene/23899/amp%3Fusqp%3Dmq331AQQKAGYAfyW0snJmu-rbbABIA%253D%253D
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 ちなみに、『ロング・グッドバイ』や『ビッグ・リボウスキ』『アンダー・ザ・シルバーレイク』をはじめとしたチャンドラー派生の作品も、「不穏な謎をきっかけに知られざる社会の裏側へと迷いこむミステリー」という意味で、本作とは同一直線上に位置すると考える。

 また、M・アントニオーニは生粋の背中フェチだと確信。当時のコードの都合もあったのだろう。胸などを映せないぶん、『情事』『夜』でも美女の背中をよく映していた。一方、抜群のキレを誇ったこれまでの映像スタイルが本作ではカラーになったことでやや損なわれ、チープな感触を与えるかもしれない。しかしそれがまた、俗悪な若者文化をスケッチした本作の内容には見合っていたように思える。
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