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志乃ちゃんは自分の名前が言えないのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

4.2
【教職課程必修映画!先生も観て!】
まず、先に言っておきたいことがある。この文を読んでいる、教職課程受講中の映画好き大学生よ、恐竜を観ている場合ではない。今すぐ新宿武蔵野館へGO!

そして、教職課程の授業を担当している大学教授よ、学生に本作をオススメしてほしい。

さて、映画ライターのヒナタカさんがオススメしていたので、事前情報シャットアウトして観に行った。そしたら、まさか『映画 聲の形』の戦慄世界を実写で、一切の妥協なしに描いた衝撃作だった!

話は、吃音症の志乃が、高校に入学するものの打ち解けられず孤立している状態から、音楽が趣味の加代とバンドを組むことで居場所を見つけていくという内容。

本作はアヴァンタイトルで、「吃音症の生の苦しみ」を120%魅せるという宣言を観客に叩きつける。入学式、志乃は母親と楽しく会話しいざ学校へ!しかし、どうも様子がおかしい。ひたすらに「私の名前は志乃」と呟き、俯きながら登校するのだ。

そして、新学期そうそうの自己紹介タイム。お調子者の菊池が、「俺の趣味はSEXです!」と叫び、クラスが絶対零度にまで冷えた状態で一人ずつ自己紹介が展開される。いよいよ、志乃の番。すると、「わっわっわた、あっあっあ、、、」と吃って、場が凍りつくのだ。あれだけ、家では流暢だったはずなのに。

この凍りついた教室を、長い時間かけて観客に叩きつける。観客は《観客》という部外者の立場から、《クラスメイト》の立場へと強制転送されるのだ。そう、本作は、『映画 聲の形』同様、鋭利なナイフで観客が無意識の彼方に追いやった世界を引きずり出す作品なのだ。生徒、先生の冷たい目線が、彼女を抑圧し、余計に一人の人生を破滅させていることにハッとさせるのだ。

さて、教員免許を取得したブンブンは本作の教師の志乃に対する扱いに問題を感じた。

まず、先生が志乃を呼び出して事情聴取する場面。

先生「その話し方生まれつきなの?」
志乃、こくりと頷く
先生「きっと緊張しているだね。積極的に友達に話しかけようよ。まずは自己紹介くらいできないとね。ハイ!」
と、戸塚ヨットスクールばりのスパルタ自己紹介特訓をさせるのだ。

先生は全く気付いていない。志乃の吃音は『英国王のスピーチ』同様、抑圧、閉塞感によるものだ。狭い教室内、先生とサシで、それも褒めることなく特訓しても、それは余計に彼女にトラウマを植え付けてしまう。しかも、何気ない「積極的に声を掛けよう」という言葉こそ、彼女の先生に対する信頼を失墜させてしまうのだ。そんなもん、とっくに分かっている!

さらに、この担任の先生は、「連携」を放棄している。クラスの問題をなかったかのように振る舞うダメダメっぷりを魅せている。他教科の教員に志乃の事情を伝えていないが為に、彼女は古典の授業で赤っ恥をかく。筆談等の対策もせず、また志乃の親と面談すらロクにしない(別にモンスターペアレンツではないぞ!)。

極め付けは、お調子者菊池の対策をしないが故に、「ハブ」というイジメが発生し、それすらロクに対処していないのだ。

ここまで、ダメダメ先生を生々しくリアルに描いているとは正直驚きでした。

話は志乃に戻そう。クラスで孤立した彼女は幸運なことに、常にムスッとしている孤独な同級生・加代と仲良くなる。そして、違いに傷つきながらもバンド活動を始める。地獄の先にあるみずみずしい青春ものが漸く観客に提示されるのだ。

しかし、決して御都合主義に陥らず、常に荊道。観客も、志乃同様の荊を踏みしめ、心が血だらけになりながら知られざる吃音症、そして対応を学んでいくのだ。

ブンブンも若干吃音症だっただけに、ここまで本気で吃音症と向かい合い、ホンモノの吃音症の苦しみを描き切った押見修造及び湯浅弘章監督に感謝しかない。あの、吃った時の嘲笑とドン引きで冷え切った空間を完璧に再現したこと一つとっても涙です。

また、少しオーバーな気がしたが、南沙良の演技は間違いなく吃音症の人に救いを与えてくれる。

そして、脚本家の足立紳さん、やはり素晴らしい。『嘘八百』こそ残念だったが、これからも全力で応援したくなりました!

って訳で教員になりたい方は、絶対に観てね!

ブログ記事:【後半ネタバレあり】『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は教職課程必修科目だ!↓
http://france-chebunbun.com/2018/07/16/post-16126/
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