ひろゆき

志乃ちゃんは自分の名前が言えないのひろゆきのレビュー・感想・評価

3.6
銀幕短評 (#213)

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」
2018年、日本。 1時間 50分。

総合評価 71点。

吃音(きつおん)といえば、コリン・ファースの「英国王のスピーチ」(レビュー外)が まず思い浮かぶ。

高校に入学した志乃(しの)は、自分の吃音のために大きな劣等感に苛(さいな)まれており、入学時からクラスにうまく溶け込めない。しかしふとしたきっかけで仲良しの友達ができ、夢に向かって歩をすすめるようになるが。

途中まで気づかないが、この映画の送るメッセージはなかなか深いところにある。ストーリーのうわべをなぞっていくだけでは、置いてきぼりをくってしまう。

ひとは誰しも、何がしかの優越感や劣等感の もちあわせがあるが、それらとどう付き合うか、どこで折り合いをつけるか、を見極めるのは けっこう難しい。と、おとなのわたしはいう。おとながそう思うのだから、高校生ではなおさらだろう。

ひそんでいる、潜んでいる。他者への あざけり、見下し、侮蔑の気持ち(もちろん わたしにも)。相手が少数者や弱者であるほど それらは大きく牙をむく。性差別、人種差別、身体障害、精神障害などへの差別。

映画のもつ影響力は現代社会で強力であり、暴力(戦争)やこれら差別の否定 反対の姿勢への貢献には絶大なものがあると思う。

しかし、この映画の届けるメッセージは、それらをすり抜けて 軽やかに 飛び越えている。
ひろゆき

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