ブタブタ

響 -HIBIKI-のブタブタのネタバレレビュー・内容・結末

響 -HIBIKI-(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

原作が好きなら映画も好きになれるし、ダメなら映画もダメってもう結論が出てるけどその通りでした。

ただ平手友梨奈さんに関して欅坂46やあの周辺に全く興味ないので偉そうな事は言えないのですが、欅坂46の今の社会や嘘つきの大人に対する反抗とかその手のダッサイコンセプトや平手友梨奈さんのキャラ設定?等は、だって所詮は秋元康や電通の企画でやってる事だし本当に茶番で鼻白むしかないんですけど、たいして美人でもないし全然可愛くもないし個人的に全然魅力を感じないので興味なかった(ごめんなさい)平手友梨奈さんを殆ど初めてちゃんと見たのですが、『響』の主人公と同じで周りが何かよく分からないけど勝手に騒いでたり天才天才って持ち上げてる感とかが本人のこれまでの活動及びキャラ設定?にピッタリハマっててアテガキしたんじゃないかと思うくらい響にあっていた。
それに平手友梨奈さんは芝居どうこうではなく完全にスタータイプの役者で、おそらくこれからどんな役をやっても平手友梨奈以外の人間は演じられないだろうし、それは貶してるんじゃなくて大袈裟かもしれませんが高倉健や木村拓哉や全盛期の宮沢りえとかに匹敵するまさに彼女は「スター」なんじゃないでしょうか。
だから平手さんはもうさっさと秋元の所やめて一人で活動してほしいです。

平手友梨奈さんは役者として、明らかに北島マヤタイプではなく前期の通りスタータイプ、姫川亜弓タイプで
『ガラスの仮面』の劇中で姫川亜弓も周りに天才天才持ち上げられるけど芝居に関しては亜弓さんは実はそんな大したことない説があって、それは生まれついての超美貌や親の七光り✕2で14光りのスタート時から圧倒的に周りとは差がついてるし、いるだけで場の雰囲気を変えてしまうオーラみたいな物が出まくってて観客はあくまでも「姫川亜弓」が見たいのであって亜弓さんが何の役をやろうがそんな事はたいして関心がなくて圧倒的スターの「姫川亜弓」が見たい。
姫川亜弓のやる役って北島マヤとの演劇勝負以外は、お姫様とかお嬢様とかみんな同じ様な役ばかりなのも高倉健や木村拓哉がやる役ってみんな同じ様な役ばかりなのと共通してるなと思いました。
だから平手友梨奈さんがこれから映画に出る事になってもやっぱり皆が見たいのは平手友梨奈以外の何者でもないだろうし、今回の『響』は現実に存在する平手友梨奈がまるで響そのもので、現実がフィクションとの境を飛び越える様な奇跡的な映画だったのではないかと。
だから別に映画の中身が天才作家がどうのとかはどうでもよかったです。
平手友梨奈演じる「天才」がいて周囲がそれに巻き込まれて行く、ならそれは別に響じゃなくて今現実にいる平手友梨奈そのものでもいいし。
響が書いた小説はいわゆるマクガフィンとしての役割しかなくて、どういう内容かも分からないしそれ故に何の価値もないので、それがスゴいスゴいとかいくら騒いでも見てるこっちには全然伝わらないのでその部分に関しては全く物語として機能してないです。
それよりも平手友梨奈演じる「響」自体がわけのわからない理解不能の天才と言うマクガフィンなのでそれを中心に世界が回ってる話しを全面に出していれば。
なので「天才作家」とか、その芥川賞直木賞取った小説とか具体的なもの(響が天才として扱われる原因の)がある為にかえって天才ってものを矮小化してしまってると思います。
なのでもっと別の、小説じゃなくて映像として表現出来るもの(それが何かは分かりませんが^^;)で響が天才だったらもっと面白かったのになと思いました。

『響』を見てる間、考えてたのは平手友梨奈さんが鈴木清順や若松孝二等々の、と言うか70年代のATG(アートシアターギルド)全盛期の映画に出てたらどうなってたんだろうとと言う事。
その時代を代表するアイドル(平手友梨奈さんが今現在そうなのかは全くの新参者なのでよく分かりませんが)と前衛・実験映画、その時代の最も尖ったピーキーで芸術的な作品を作ってる人達が出会ったら、思いもよらぬ化学変化が起きて全く違う映画の潮流が起きていたのではないかと。
それくらい平手友梨奈さんて今スゴい存在、又はこれからスゴい存在に、時代のアイコンになるんじゃないでしょうか。

長谷川和彦監督の幻の企画『連合赤軍』は共産主義革命が勝利してしまうパラレルな世界の物語で永田洋子を主人公にした超能力大戦だそうですが、長谷川監督は永田洋子は山口百恵にやって欲しい、つまりその時代のアイコンたる存在がやる役と言ってて、もし今やるなら平手友梨奈さんにやって欲しいと思ったのでした。

で、『響』に関してですがダメでした。
平手友梨奈さんの映画デビュー作としての価値は充分あったと思いますが。
なので平手友梨奈さん☆☆☆☆☆5点
映画自体は0点で。

以下は原作・映画含めた僕の罵詈雑言なので気にしないで下さい↓

最近では北条裕子、昔なら椎名桜子、水嶋ヒロ(ペンネーム忘れ)など。
作者の話題性だけで「文学」を売ろうとしても必ず失敗する。
更にこれを現実ではなく漫画(及びその映画)の中でやってる所が更に志しが低いし初めから無理がある。
ジュンブンてすぐ片仮名にして約すのは何でもダサい。
芥川やら太宰やらを出してジュンブンとは何ぞや?と素人にもわかりやすく説明するのはいいですけど村上春樹はジュンブンでは無いと思います。
寧ろポストモダン文学の作家だと云々~(←こういうめんどくさい人間を釣るのに成功してるって意見もありますが長くなるので止めます)
マンガ大賞に実写映画化の話題作との事で無料1巻読んで「なにこれ」と思ってレビュー(Amazon)読んで納得。
2巻を買わなくてよかった。
嫌な奴(やられキャラ)が出て来て嫌な事をする→主人公が暴力を振るう→小説を読んで改心。
何かずっと同じパターンらしい。
冒頭で、「芥川龍之介『天才とは、わずかに我々と一歩を隔てた者のことである。』」との格言が書いてあるけど意味分かってないだろうしそもそもこの作者、本なんて読んでないだろうし。
本に対する愛がない。
本を乱暴に扱うのが本当に不愉快。
人をゴミ扱いする人は人からゴミ扱いされても文句いえない。
この主人公は人でも本でもすぐにゴミ扱いするのは作者が本(小説)なんてゴミ以下のモノだと思ってるからでしょう。
ゴミ。
この漫画も映画も作者も主人公も主人公を洗脳されたみたいに「凄い凄い」褒め讃えるだけのその他のキャラクターも全部ゴミ。
主人公は単なる異常者ですぐ暴力、天才だから変な行動する、人と違う事するって描写の発想が古すぎるし安易すぎる。
殺人鬼といえば独房の中で屁理屈捏ねてるレクター博士もどきでオバケと言えば前髪垂らした貞子もどき。
その程度の馬鹿の一つ覚えを未だにやってるのと同じ。
天才と言えば凡人には理解出来ないおかしな行動するって古式ゆかしい事を今頃になってもやってるのが驚き。
原作の方はジュンブンの次はラノベって展開らしいですが、この作者はラノベもバカにしてるらしい。
ラノベに行ったのはラノベの読者なんてどうせマトモな本なんて読まないバカばかりだろうと作者がラノベもその読者も舐めきってバカにしきってるのが見え見え。
SFやミステリーに行かないのは或る意味必然でそこはSFマニアやベテランの本読み、とんでもない博識の読書通やシャーロキアンやらそんな人だらけでとても素人が近寄れない魔窟だから。村上春樹をジュンブンとか言っちゃう人には到底太刀打ち出来ない世界だからだと思う。
芥川賞直木賞W受賞でも恥ずかしいのに今度は江戸川乱歩賞やPKディック賞なんて言い出したら流石にもうおしまい。
そこまで恥知らずではなかったみたいですが。
マンガ大賞もこのマンガはすごいも出版社やメディアミックスの都合による出来レースになったみたいなので漫画版「直木賞」ぐらいの権威や宣伝力を持つイベントになれたのに目先の利益を優先して自らそれを放棄したのだと思う。
この作者は何故何の興味もないたいして読んでもいない小説なんてモノをテーマに漫画を書こうなんて思ったんだろうか。
編集者が(悪い意味で)非常に優秀なのかも。
なので平手友梨奈さんは秋元の所さっさとやめて才能ある監督のマトモな映画に出て欲しいです。
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