けーはち

未来のミライのけーはちのレビュー・感想・評価

未来のミライ(2018年製作の映画)
3.4
予告編「男児がお尻に犬🐶の尻尾を挿入して獣化する」シーンを見た人なら、大体想像したであろう細田守の作家性は本作でも異様に炸裂する。

「妹(新生児)に両親の愛情をとられた4歳児が夢想の中、様々な形をとった現在・過去・未来の家族に会い、やがて妹を受け入れ成長をとげる」──そんなディズニーなどでよくある児童の精神世界ファンタジー&古典的な家族愛の物語という建前を掲げ、すばらしい背景美術、演出の超絶技巧で夏休み娯楽作風に魅せておいて、中身は完全なる子育て日記の私小説、プラス『バケモノの子』以上にはっちゃけマニアックチャレンジしている問題作。

何せ4歳男児のリアリティが遺憾なく表現されている……と言えば確かだが、お話的にはあまり意味はなく、趣味で描いたとしか思えない場面も多々あるわけで。

冒頭に掲げた4歳男児が尻尾を尻に挿入のシーンや、未来から来た妹のミライちゃんにくすぐられる「蜂ゲーム🐝」とか言うのがクセになり「さっきのもっとして❤」と顔を紅潮させねだるシーンなどは正気を疑う展開である。当然、子どもの他愛もない無邪気な快楽主義にすぎないと強弁すれば、そう言えなくもないのだが。

女子中学生(?)になった未来のミライちゃんが手首に生まれつきあるアザを覗き見られ赤面するシーンもまた、一切セクシャルな部分なしに思春期の自意識、肉体への羞じらいを表現するという、少女愛好趣味としては至極レベルが高い演出で、細田守はやはり鬼才だと唸らされる他ないのである。

上下左右斜めにグイグイとカメラが平行移動し日常における家族のせわしない動きを表現する演出ありきで造形された主人公の家(父親が建築家なので坂に建てられた家は高低差をそのまま活かすシャレオツなデザイナーズハウスになっている)だが、あんなバリアフリーのバの字もへったくれもない段差だらけの家で、事もあろうにダックスフンド🐶(短足なので段差で腰を痛めやすい)や幼児が暮らすなどとはそれこそ完全に正気の沙汰でないし、作中に現れる家族観や夫婦・男女観の古色蒼然ぶりなどは些事である。戦争で足を痛めたひいじいじ(cv福山雅治。九州男児なので方言クールガイが似合う)のくだり、地獄行き新幹線で赤ちゃんミライちゃんを護るくだり、結構泣けるし。

細田守監督、ジブリや『君の名は。』が高めたアニメ映画市場への期待を背に、この作風で行けると思ったのはあまりにも豪胆すぎるが、正気にては大業ならず、その先に何が待ち受けていようとも我が道を突き進んで欲しい。