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15時17分、パリ行きのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
4.2
【巨匠ANOTHER SKYを撮る】
ロッテントマトで、批評家からも一般ピーポーからも嫌われた映画がある。その嫌われようは、実写版『ピーター・ラビット』や『メイズ・ランナー』を上回った。その作品とは、クリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』だ。

パリ行きの列車で起きた、無差別殺人テロを防いだ3人の男を描いた物語で、なんと主役の3人はもちろん、事件当時現場にいた人々も可能な限り本人を採用した異色作だ。

てっきり、魔女狩りのように過去のセクハラを引き合いに過剰に吊るし上げる運動の一環でイーストウッドが標的にされたのかと思いきや、フランスでも頗る評判が悪い。この手のトリッキーな映画に甘いカイエ・デュ・シネマですら、「イーストウッドの新作は難破船だ」とお手上げ。

ここ数年一番の不安を抱えて観に行ったところ、なんやねん大大大傑作ではありませんか。

アンディ・ウォーホルはかつてこういった。

「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。
In the future everyone will be world-famous for 15 minutes.」

この15分がやってきた男の、涙ぐましい運命の物語がここにはあった。

実は、本作、8割型スキンヘッドの男スペンサーに焦点が当たっている。そして、本作は事件当日までの約20年間を追う。幼少期、やんちゃ盛りで先生から《多動》を疑われる。親は、スペンサーの個性を認めようとするが、承認欲求は満たされない。そのままアダルトチルドレンのように大人になってしまった彼は、軍に入りある目的の為に頑張るのだが、誰も認めてくれない。しかも自分のドジで尚更陰日向に追いやられる。そんな彼の「認められない」という劣等感から生じる行動の数々をイーストウッドは見事に汲み取り、一見すると退屈な挿話が終盤に強固な伏線として活きてくる。

本作は、この挿話の使い方があまりにも斬新で叩かれている模様。確かに、明らかにカットがおかしい場面がある。スペンサーとアンソニーはアレックより早く2人共々ヨーロッパ旅行に出かけていた。2人はドイツで急遽オランダに行くこととなる。次のシーンではクラブで踊り狂う2人が映し出される。何故か、その次の場面ではアレックと合流しているのだ。

イーストウッドは無駄を徹底的に排除するあまりに本来必要なカットも排除してしまっている。

ただ、観終わった後、「それでいいのだ」と思った。あれはテロ犯を撃退したスペンサーが観る走馬灯でしかないのだ。スペンサーにとって大切な思い出しかこの映画にはないのだ。

だから、本作は誰にも文句を言わせない大切な思い出を持っている人には大いに刺さる作品だ。

もし、本作に乗れなかったら、《輝ける15分》に遭遇した直後に再度観てほしい。きっとあなたは痺れるであろう。

P.S.実は、私がこの作品に思いを寄せたのは個人的な理由もある。スペンサーがイタリア旅行した際のルートが、私の高校時代に行った卒業旅行のルートとそっくりだったのだ。ダチと2人でローマ、ヴェネチアに渡り、現地の女性に一目惚れし、その旅が互いにその後の運命を決定的に変えた。本作と私の人生のシンクロ率がやけに高かったので、興奮しまくっていました。
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