きえ

15時17分、パリ行きのきえのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
3.7
クリント・イーストウッド監督作品にハズレなし!を公言してきたけど今回は実話物である事以外何も知らずに鑑賞し驚愕の事実に驚いた。

それを知ったのは鑑賞終えて作品の情報やレビューに触れてから。笑。何せラストで流れる映像と実写を見ても本人達によく似せたなぁ…ほんとそっくり!と天然な見方してたものだからまさかまさかど素人の本人達が本人を演じてるなんて凡人の私が思うはずもなく…。

実話物への拘り、リアリティへの追求を突き詰めるとこんな究極なキャスティングになるのか。87才にして止む事のない挑戦。凄いな。この実験的とも言える取り組みに迷わずスコア加算!!

本作は2015年に起きたタリス銃乱射事件が題材。タイトル通りの列車内で起きたこの無差別テロの犯人に勇敢に立ち向かった幼馴染3人の人間像が描かれるヒューマンドラマと言うか群像劇と言うか、とにかく『ハドソン川の奇跡』の様な作品だと思って見に行くと肩透かしを食らう。

普通は事件そのものに脚色を加えエンターテイメント性を高めた作品作りにするだろうけど、そうしないところがクリント・イーストウッドだ。監督の視点はいつも『人』にある。そこが好きなんだけど。

勿論この作品でも事件部分は描かれる。でも正味ラスト十数分だ。それ以外はひたすら幼馴染3人の成長記録。1つの映画で2つの味を味わうほどガラッと変わる事件部分は緊張感がぎゅっと凝縮されトロトロになりかけた目が瞬きを止める程だ。ここで驚くのはこのシーンの出演者の殆どが実際に乗り合わせていた本人達と言うから凄い。それこそPTSDにだって成り得た緊迫の状況下を再体験する事になるのだから。日本でこう言う作品って幾ら有名監督であっても難しいと思う。道徳的な意見で企画自体押し潰されそう。欧米人との気質の違いもあるし映画文化への理解の違いもありそうだ。

この作品で監督が描きたかった(追求したかった)のは何故ごく普通の若者に自分の命を顧みず危険に立ち向かう勇気が持てたのかと言う人としての根っこの部分だろう。それゆえ必然的に幼少期まで遡る。

彼等3人の成長記録を見ながら、人間の評価は何をもってなされるべきなのかを凄く考えた。もっと言うなら今の時代日本に欠けてるのは人間性への評価なんじゃないかとも思ったり。偏差値教育がもたらすのはあくまで数値化出来る物差しでの人間評価だったり標準以上を求める教育。それで言うとその枠には収まらなかった彼等の少年期は問題児となる訳だけど、数値化出来ない物差しで見た場合、深い友情で繋がり続け苦しみも挫折も経験して来た彼等の内面偏差値は机上ではなく身をもって引き上げてきた実体のある偏差値なのではないかと思う。

この事件では発砲を聞いた乗務員達が客を放棄していち早く乗務室に逃げ込んだと言う。しかも鍵を掛けて。でも恐らく乗務員達は不可のない生徒として学生時代を過ごして来ただろう。少なくとも彼等が校長室に呼ばれた回数よりは全くもって低いか無いはずだ。結局人間を形成するものって何なんだろう。人間を評価する物って何なんだろう。人間の価値って何なんだろう。考えさせられる。問い続ける。

頭と心と体、そのどれもが大事なのに今の時代頭だけが一人歩きしてる。政治家見てると心も体も無さすぎる!国民に共感する心も責任を負う体も持ち合わせていない。どうしたら責任逃れが出来るかを考える頭だけで出来てる。

本当のヒーローって結局表舞台にはいない。

最後は政治家への愚痴になってしまったけど、私はクリント・イーストウッドと心中してもいいくらい彼の名も無き人へのリスペクトが好き!

ただ1点気になったのは、英語が母語じゃないから彼等のセリフ回しが棒読みだったのかどうかは全く分からない。英語が母語の人がこの作品を見たらど素人の芝居にシラけたりするのか、そこはちょっと気になるところ。でも見た目も動きも表情も俳優さんにしか見えない堂々とした風情だった。それだけでも凄い。
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