イーストウッドとはいえアタリハズレはあるのは過去作観ててもわかるんですけど、今回はどっちともいえない感じでしたね。ドキュメントとフィクションの間というかリアリティの追求のひとつの形ではあるんですけど、その追求は内容じゃなくて、事件というのは誰にでも起きうることだしそこで活躍したとしてもしなかったとしてもすぐ側にあることとして受け入れておくべきっていう。描いてないですけど、あの犯人にも同じように背景はあったはずで。そこも含めて、モブにも人生はあるというか人間皆モブというか。モブであり自分の人生の主人公で。その集合体が動くのが社会であり人の営みであり…っていう。