つのだなつお

15時17分、パリ行きのつのだなつおのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
4.7
オールタイムベスト

「何かに導かれている気がしないか」というメタ台詞が示すように、物語のキャラクターとは決められた結果へと進んでいく存在であるわけです。イーストウッドはそれを通して、人が選択し行動していく過程には大きな価値がある、と伝えたかったのではないでしょうか。
 例えばマクガフィンという手法は、観客にその瞬間のアクションに集中させるための手法であると同時に、個人的には結果よりも過程に意味があるという哲学を含んでいるとおもいます。映画の一番の特徴、写真や絵と違い映っているものが動くというところを考えたらわかるはず。映画の本質とは、選択と行動、目的までの動き、つまりアクションだったのではないでしょうか。
目的に向かって決まったレールを進んでいく列車という舞台装置や、度々出てくるキリスト教、特に運命説についての言及。イーストウッドが「結果と過程」や「選択と行動」といった映画の本質にこの作品で迫ろうとしていたとしか思えません。
 元西部劇の大スターだった彼は、後年自らが主演をする作品を監督として作ることで、自らのヒーロー性がアメリカにもたらしたマッチョイズムの罪に向き合うということをしてきました。自らを犠牲にして移民の青年を救う「グラントリノ(09)」を監督した以降、マッチョな自身についてではなく、市井の人々についての物語を語るようになりました。
 この映画が作られた2018年は、janelle monaeの「dirty computer」、デルトロの「シェイプオブウォーター」、cardi B「invation of privacy」があった年。つまりポップカルチャーが市井の人々の欲望を称揚し、消費者側の大衆による選択と行動が世界を大きく動かし始めた年。そしてそれは2010年代という変革のディケイドの集積だったわけです。
 この10年間、市井の人々を描いてたイーストウッドは、この時代と呼応していたように思えます。そしてその中でも今作は最も普通の人を描いた作品です。それも本人に演技をさせてまで写実的にこの時代を捉えようとしている。何かがただそこに「ある」、カメラはただ映せばいい。そうとでもいうようなタッチで、選択と行動を切り取っていきます。
 始まって終わるまでの過程の中で、何かに導かれるように、正義のアクションを進めていく人々をカメラがただ映している。ただの純然な映画がそこにはあります