松井の天井直撃ホームラン

万引き家族の松井の天井直撃ホームランのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
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☆☆☆★★★

6/14 2回目の鑑賞
1度目のレビューの後で、新たに感じた事を書き込みました。

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間違いなく良作なのに、簡単にはレビューがしにくい【何か?】が胸の奥にしこりとして残る作品。
感動を期待して観に行くと、するっと、はぐらかされてしまうのでご注意を。

以下、少しとりとめの無いメモ…。

《ゆり(じゅり):りん》と《亜紀:さやか》 この2人は、どことなく『空気人形』でのペ・ドゥナのキャラクターの影響が見て取れる…と、こちらが勝手に思ってはいるのですが。その理由として、松岡茉優の職業が…とゆうのも、多少は影響はしているだろうか。
孤独な男の、性のはけ口の対象…とゆう点も。
但し。客で有る池松壮亮との関係性が、中途半端なまま終わってしまっているのは何故?と言うよりも。寧ろ、「どうした監督?」…では有りました。
そして、佐々木みゆちゃんがビー玉で遊ぶ描写は、『空気人形』でも描かれていたところ。

終盤の接見場面では、『歩いても、歩いても』での ※ 1 「ちょっとだけ間に合わない」の台詞が。
更に、《祥太》が心の奥底で父親を欲しているのではないか?…との点でも、やはり『歩いても、…』との関係性を考えてしまう。
トウモロコシも出て来たが、今回は食欲をそそる料理は無し。万引きして生活しているだけに、インスタント食品やや多し。

この作品の中で。私が1番好きだったシーンは、リリーフランキーと安藤サクラが素麺を食べる場面。
2人は画面を見てハの字になるのだけれど。
この時の、カメラアングルと共に。2人の座っている位置関係は、いかにも成瀬好きの監督らしい構図だった。
これが小津作品だと、2人は対象的な位置関係になっていると思う。その(画面上のスッキリとした芸術性の)座りの良さが小津作品ならば。逆に成瀬作品だと、画面上に多数の人が居たとしても、全員は同じ向きにはならない。だからこそ、常に画面上には不穏な空気が漂う。
本作では、度々画面には家族全員が映りながらも、全員がそれぞれに別々の向き・行動によって一体感は無い。やがてこの家族関係が崩れる畏れを観客は絶えず気にする事になる。

素麺を食べる場面ですが、やがて2人は…。

『海街…』では原作コミックの影響も有るが。始まりは長澤まさみのベッドシーンからだった。
『海街…』こそは、是枝作品の中で1番と言える程に、生と死は(性と死は)表裏一体として描かれていた。そしてそれはこの作品でも同じ様に、 死 は突然にやって来る。

何だか書き込んでいても。どこをどう切り取り、どう伝えれば良いのか?…が、なかなか思いつかない。
是枝作品らしさ溢れる【疑似家族】を描いてはいるが。観客側からしてみれば、「最後にこの家族は、必ずや1つの家族となるだろう」…と絶対に思う筈。

だが現実には!

「俺達は家族だ!」…と言いながらもも。リリーと安藤は、2人になった時は樹木希林の事を「婆さん!」と言う。
この2人には秘密を共有した過去が有り。それゆえの深い繋がりが有った。
だからなのか?松岡と樹木には完全なる信頼関係を持ってはいない様に見受けられる。
〓 1 松岡はリリーに「いつするの?」…と問うが。それに対しては冗談で返すリリー。
松岡は彼女なりに、この【家族ごっこ】を楽しんでいる様に見えたのだが。本音ではどうだったのだろうか?
それまでの樹木希林の行動を知った時に、彼女は果たして「裏切られた!」…とゆう感情を抱いたのかどうか?
そして《りん》はこれで幸せに暮らしていけるのかどうか?

どうやら、〓 2 リリーと安藤には。2人の子役に対する想いを見ると、親と子との間に起こる、暴力的なモノに対する深い憤りの感情を持っている様に思える。
まだ1度の鑑賞の為に、作品の全体像を把握出来ていないのが本音。(お前に出来るのかよ?…ってのも有りますが💦)
冒頭に、胸の奥にしこりが残る…と書いたのだが。カンヌでグランプリを獲っただけに、観た観客には一体どの様に映るのだろう。

不思議に思った場面が1つ。
マンションの新築現場で。リリーフランキーが1人になった際に、ふっと漏らす「ただいま!」の台詞。
※ 2 あれには一体何の意味が有ったのだろう?

決して比べるべき事では無いのですが。今、日本映画には【家族】を描いた作品が2つ。
徹底的に【家族】を、「こう有って欲しい!」とばかりに。お伽話として描く山田洋次の『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』と。よりリアルな現在進行形として、日本の貧困を描く是枝裕和の『万引き家族』
この2作品が、奇しくも同時に公開されているのが、とても皮肉な事実として感じている。

個人的には必ずしも、過去の是枝作品と比べ最良とも思えなかったものの。過去の作品と照らし合わせて考察した訳でも無く。また不勉強の至りは免れず…で。全く自分の教養の無さを嘆く他ない(>_<)

※ 1 2回目の鑑賞の際に確認すると。ほんの少しだけ台詞か違っていた。

※ 2 おそらく父親として。「これだけの家を持ちたい…」との思いだったのでしょうね。

2018年6月2日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン5

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6/14 2回目の鑑賞

〓 2 「産まれて来なければ良かった…って思われたら、あゝは成らないよね!…人に優しくなんて…」

「普通な!」(りんに対する安藤とリリーの会話から。)

映画冒頭で、りんの腕に火傷の痕を見た2人は、互いの顔を見つめて小さく頷く。
そして映画の最後に安藤は言う。

「母親が憎かった」…と。

《疑似家族》では有るものの、安藤とりんには【虐待】の匂いが。
リリーと祥太には仮では有るが、(何となく)【父親の存在】の願望が。
樹木と松岡には、心の奥底に宿る【闇の心】が。
それぞれが対象と言える存在とも言える。
そして、安藤とリリーには。過去に起きた犯罪を共有した事による信頼が有るのが他の4人とは決定的に違うところ。

だからこそ、〓 1 松岡に「嘘くさっ!」と言われはするが、リリーは胸を叩き、「俺たちゃここで繋がっているんだよ!」と胸を張る。

他人同士が、社会から隔絶されながらも寄り添う様に暮らしている。
しかし、その一部始終は決して褒めらる暮らし振りでは決して無い。
終盤にリリーは言う。

「他に教えられるモノが何にも無いんです」

祥太は心を痛めていた。
それを如実に表していたのは、万引きをする前に行うおまじない。
だから時々は、廃車の秘密基地で心を癒す。(家の中では押入れ)小さな胸の痛みだったのだが。やまとやの親父に咎めらた時に、遂にピークに達した。
祥太自身は。台詞から、リリーと安藤の2人との出会いを何となく認識している様な感じがする。
映画を見れば明らかなのですが、祥太は万引きをするがわざと捕まる。
リリーに対して恩義は感じているものの。反面教師として見ている節も見え、だからなのか?【おとうさん】の一言がどうしても出て来ない。
その想いを明らかに顔に出すのが、(この時には気が付いていたのかは不明だが)自身が拾われた時と同じくパチンコ屋の駐車場。

…色々と「あれも書き込んだら、これも書き込まなきゃ!」…と思っていながら。いざ…となるとなかなか考えがまとまらない(>_<)
今後も絶えず改定してしまうかもしれない。

2018年6月14日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン5