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万引き家族のumisodachiのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
4.5
祝!パルムドール!公開日に早速観てきた。

是枝裕和監督がずっと向き合ってきた家族・絆といったテーマと、昨今の映画シーンのメインテーマとなりつつある貧困・社会的弱者といったテーマが絡み合い、繊細かつ重層的な傑作に仕上がっていた。

東京の東側で暮らす5人の家族。"祖母"の年金、"母親"のパート、"父親"の日雇い労働、そして"父親"と"息子"の万引きで生計を立てている、貧しくも賑やかな日常。ちなみに、"娘"("姉"といった方がしっくりくるかな)は、JKビジネスの怪しい店で働いて小遣いを稼ぐ。そんなある日、"父親"は近所のアパートのベランダで震えている小さな女の子を連れて帰る。少女の身体には痣や火傷の痕があった。一度は返しに行く"夫婦"だったが、少女の両親が暴力的に言い争う声を聞き、再び連れ帰ることにする。そして、5人家族は6人家族になった。

血のつながりこそが絆なのか。家族を家族たらしめるものは何なのか。彼らの行為は罪なのか。貧しくも幸せ溢れる"家族"の日常と、徐々に明らかになっていく"家族"の真実。そして訪れる2つの大きな出来事。社会から隠れるように生きていた彼らが、世間の《正しさ》の元に曝される瞬間がやってくる。

彼らには愛があるから、子供たちは彼らの元にいて幸せだった。そう単純に結論付けられないところに、本作の素晴らしさがある。リリー・フランキー演じる"父親"は、もしかしたらごく軽度の知的障害があるのかな?と感じさせる部分があり、識字能力もないのかもしれない。樹木希林演じる"祖母"は、複雑な過去を持ち洞察力も包容力もある女性だが、同時に《食わせ物》の側面も感じさせる。安藤サクラ演じる"母親"もまた、逃れられない過去を背負っている。

彼らの選択はどれもこれも、《正しさ》に照らし合わせると間違っている。「そうじゃない。もっと他にやりようはあるのに」スクリーンを眺める我々はそう思う。しかし、そうではないのだ。彼らは《正しい》方法も分からないし、例え分かったとしても、どうすればいいのかが分からないのだ。社会のセーフティネットから零れ落ちてしまう彼らのような存在を、『自己責任』の名のもとに断罪するのは簡単かもしれない。でも、そのような態度がいかに醜悪で無駄であるかは、彼らを問いただし追い詰める警察官の姿を見れば分かるはずだ。我々は普段、あの警察側に立っているのではないか?そう自問自答しない観客はいないだろう。

セーフティネットに指先すら届かない人間を描いた傑作は、ここ数年でどんどん生まれている。『わたしは、ダニエル・ブレイク』はストレートに格差社会に対して怒りをぶちまけ、『フロリダ・プロジェクト』はクソみたいな社会に”FU〇K YOU”と言ってのけた。そして、『万引き家族』でその役割を果たしたのは、安藤サクラの涙だった。「なんだろうね」と言って何度も何度も涙を拭う安藤サクラのワンショットは、映画史に残るであろう奇跡の数秒。『天国と地獄』ラストの山崎努に勝るとも劣らない究極の演技を、終始《静》の言葉と動作だけでやりきった。

『万引き家族』と『フロリダ・プロジェクト』の類似点は各所で指摘されている。社会の陰に隠れて生きるしかない人々の日常を子細に描き、そのかけがえのない日々を鮮やかに描き出す。度々出てくる食事のシーンも、水着をつけたままのお風呂のシーンも、リリー・フランキーと安藤サクラのセックスシーンも、海水浴のシーンも、すべてが質感まで伝わってくる鮮明さで描かれていく。危うい均衡で成立していた"家族"かもしれないが、彼らがいかに満たされていたのかを、何気ないシーンの積み重ねが表現していく。

"母親"と少女が持つ腕の痣、"父親”と少年の脚。足の温度だけで"孫"の気持ちが分かる"祖母"。随所に示される血液以外の繋がりが切ない。家族とは。貧困とは。そして、子供に対する私たちの責任とは。『万引き家族』を観て、「ああ、これは私の物語
だ」と思えた人が増えたとき、社会は良くなっていくことができるかもしれない。
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