ohassy

万引き家族のohassyのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
3.5
「あなたたちは血が繋がった真っ当な家族だろうけれど、彼らとどっちが幸せだと思う?」


確かに、観終わっても覚えているセリフがいくつかある。

「血が繋がってない方がいい、何も期待しないから」
「産めば親になれるの?」

僕たちのようないわゆる「普通」の家庭生活を営んでいるつもりの人間に対して、ブスブスと鋭利な刃物で急所を突いてくる。
イヤだなあ。
なんでそんなイヤなこと言うの?と、監督に言いたくなる。
もちろん僕に対して言っているわけではないのだけれど、「お前に言ってんだよ」と、他人事にすることを許さない空気。

家族ってプロデュースが難しいなって、ずっと思っていた。
家族のプロデュースに比べれば、仕事でのプロデューサー業務なぞはナンテコトナイ。
何せ立場的に偉いし、予算を握っているわけから、なんだかんだスタッフは言うことを聞いてくれる。
家族はそんなことお構いなしだし、理論的に正しいことがまかり通るわけでもない。
全く違う目的を持った集団なのだ、こちらの意図に従わせようと思っても土台無理なのである。
なのに、血のつながりからは逃げられない。
いや、現代社会においては血というよりは、法律や常識や世間体といった社会的なものによって、家族というものから逃げられないのだろう。

だから最近は、そういうのはやめた。
比較的仕事人間なのでそれはなるべく好きにやらせてもらいつつ、稼ぎは担保し、カミさんはできるだけ甘やかし、子供たちは道を外れない程度には矯正しつつ教育の機会はなるべく与えるが選ぶのは彼ら自身。
これが今のところの、僕が行き着いた方針だ。
明日には変わるかもしれないけれど。

でもあらゆる生き物は、太古の昔から血のつながりをもって集団を形成し、守りあって生きているわけで、それには大きな意味があるはず。
にもかかわらず、
「産みたくて産んだわけじゃない」
「子供は親を選べない」
などという感情が生まれる人間という生き物は、やっぱり特別なのだろう。
だったらこの先、血のつながり以上の絆を見つけられるはずだ。

そういったことを考えさせる意味では、本作の持つ意義というものは大きい。
見えないふりをしてしまいがちな闇を、とても見やすい形に作り上げている是枝監督の手腕は、さすがとしか言いようがない。
加えて「誰も知らない」で大成功を収めた演出論を捨てて、新しい表現に果敢に挑むその姿勢には、畏敬の念を抱く。
やっぱり「誰も知らない」のような作風を思い描いていたわけだけれど、キャラクターたちの素性をミステリーとして描いたり意識的にコメディーを取り入れるエンタメ性や、撮影監督が変わったことによる視線の変化は、少なからず驚きを覚えた。
なんだ、思ったのと違うな、と。
でも今は、同じだったら途中で飽きちゃったかもな、とも思う。
同じじゃん、と。

それにしても撮影はすごかったね。
花火シーンの俯瞰は特にやべえ。
ずっと見ていたかった。

ずっと見ていたかったといえばもちろん、松岡茉優のおっぱいである。
松岡茉優は桐島以来ずっと好きだったのだけれど、「勝手にふるえてろ」での彼女はあまり好きじゃなくて、でも今回の彼女はとても良かった。
あんなものがこの世の中に存在していることにはびっくりだけれど。
あれは一体何をするところなんだ、ストリップみたいなこと?
需要と供給が成立しているのだから、何かあるのだろう。
風俗じゃないと言い訳できそうなラインのもの、ということだろうけれど、まあ風俗だよな。

でもその松岡茉優のおっぱいをしても、安藤サクラの隠し切れないエロスの前にはなりを潜めるしかなかった。
彼女にしたら、まだまだただのお子ちゃまだ。
安藤サクラはすごいですね、そうめんからSEXへのくだりは歴史に残るシーンになるでしょう。
事後の肉感的な、ネギがこびりついた背中を含めて。
ohassy

ohassy