ケーティー

万引き家族のケーティーのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
2.5
深そうで浅い。よく言えば、想像力の余白を残す作り。どちらにせよ、ドキュメンタリーの特徴を露呈させた作品。


ドキュメンタリーの特徴は何気ない映像を積み重ね編集することで、意味のない一言に意味をもたせることにある。いいドキュメンタリーは、その手法によって取材対象者が直接は言っていない本音や物事の本質をあぶり出し、悪いドキュメンタリーは嘘をさも本当かのように喧伝する。そんなことを本作を観ていて、考えていた。

それぞれの人物の構成は良くできている。父ちゃんの祖悪性に気づく少年・しょうた(仮名)。そのことを予感させるのが、すでに父ちゃんを信用しておらず、だからこそ、ばあちゃんにすがる少女・さやか(仮名)。自分の意思で生きることを学ぶ少女・りん(仮名)。

お婆ちゃんの死の件は、特に人間性を露呈させる。お金がないから葬式ができないと嘆いていた父ちゃんと母ちゃんは、結局お婆ちゃんのへそくりを見つけたら、お金だお金だと上の空。ここで、大人二人のカップルの悪を露呈させるのがうまい。

だからこそ、お婆ちゃんはどこまでも気の毒で、死んだら困るだろうと保険と言って貯めていたお金は結局報われず、真実はさておき、少女・さやかとの信頼を崩れることとなる。このあたりの構成は見事である。この映画は、この家族を必ずしも肯定しているわけではない。お婆ちゃんが、生前「あんたを選んでよかった」と言っても、結局死ねば金づるに過ぎない空しさがある。

しかし、確かに構成はうまいのだが、どこか現実の匂いがない。あくまでも私の印象だが、作り手が心の奥底でこうすれば面白いだろうとどこか考えている下品さを感じる。作品に出てくるような境遇の人に寄り添う当事者意識がない。しかし、それは翻って、対象をどこか突き放し本質を捉えようとする、ドキュメンタリーのつくりとはそういうものだと言えなくもないのかもしれないが……。

また、1つ気になったのが、ほとんどセリフで状況を説明している点である。意外と映像的描写での心情や状況説明(シャレード)がない。もっとも、ラストのバスやベランダはしっかり映像的演出で表現しており、これを際立たせるために敢えて映像的描写を控えた可能性もなくはないが、是枝監督は本人がテレビマンと自称するように、ある意味テレビ的なわかりやすさを重視したのかもしれない。

同居人の死をきっかけとした騒動という意味では、NHKで1979年に放送された単発ドラマ「親切」を思い出した。
この作品は、新婚夫婦が年寄りにマンションの部屋の一部を間借りする、すなわち、今でいえば、新婚夫婦と老夫婦のルームシェアを題材にしたドラマである。そして、本作と同じく、血縁のない人たちが果たして家族と同じになれるのかをテーマにしており、同居人の死がそのテーマに対する答えを見せていくという構成もある意味では似ている。
しかし、「親切」には、老夫婦との生活の騒動をコミカルに描きつつ、戦前生まれと戦後生まれの世代ギャップをあぶり出すとともに、同居人の死が血縁の有無による決定的な差を露呈させるという作者の考察を感じる見事な描写があった。この作品は、老夫婦と新婚夫婦のずれを世代間の微妙なギャップや生いたちの違いに焦点を当て説明していたのである。
しかし、本作は心情の深いところまでいかない。登場人物たちの不可解な行動も、その自供シーンに端的に表れているように、貧乏だからそうなったに終始している。結果的に、きつい言い方をすれば、貧乏人はバカという描写に留まってしまっているのはいかがなものだろうか。貧乏でもみんながみんな本作のような人ではないし、だからこそ、なぜ父ちゃんが悪人になってしまったのか。そこには、もう一歩深い洞察がいるのではないか。

結果的に本作が低所得者に寄り添っているようで、そうした人たちをバカにしているように私は思えてならないのである。
もっとも、洞察を敢えて提示しないことで、想像の余白を本作は作りたかったのかもしれないが、それにしては人物の描き方に多面性がなさすぎる気もする。