これはやっちまった。
『仮面ライダーアマゾンズ』で唯一、守られてきた事があった。
それは絶対的なもので水澤悠と鷹山仁の対比として申し分のない理由。
逆に言えばアイデンティティとも言うべき大事を破ってしまったら今までの話はなんだったのだろうかというアマゾンズの存在意義さえも揺るがす。
つまりはやっちまったんだ。
でも、やはりというべきかアクションシーンや中盤までは蛇足としてもアマゾンズの続編を観られた事はやはり嬉しかった。
なので平均値。
何をやっちまったかはネタバレとして下部で話すとして、『仮面ライダーアマゾンズ』の宣伝!
まずはこの作品を観る為にはAmazonprimeで配信されている『仮面ライダーアマゾンズ』Season1,2をご覧ください。
以上。
仮面ライダーと言ってもこの作品は勧善懲悪ものでもなければ昨今のエンタメ作品とも異なる。
近い作品で言うなら平成初期作品。
各々が正義を抱いて闘いに興じる様はやはり胸打たれる。
グロテスクなので注意が必要だが成人されているのであればオススメ。
生きるとは何か、核心をついてると思う。
アマゾンズ自体には満点をつけたい。
さて、何をやっちまったのか、『ネーターバーレっ!』
養殖のアマゾンである水澤悠は体内に人間の細胞が存在する、片や人間であった鷹山仁の身体にはアマゾン細胞を後天的に埋め込んである。
つまり、アマゾンであって人間の面を有する悠と人間であってアマゾンを保有する仁と対比になっている。
そんな中、悠は人間もアマゾンも捕食しないという信念のもと活動、逆に仁はアマゾンは絶滅させるが人間は殺さないという行動倫理のもとアマゾン撲滅を目指していた。
この均衡が本作で打ち破られてしまった。
これが大きな問題。
終わりだからいいよね、では済まない過ち。
詰まるところ彼らのアイデンティティはここで失われ、形を留めなくなった。
これではあまりにも報われない。
ここ1点だけうまく差し替えられていればもっと皆の見る目は変わっていたに違いない。