まりぃくりすてぃ

Girls of Cinemaのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

Girls of Cinema(2018年製作の映画)
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英語弁論大会で優勝しそう。とてもいい。
主張してることと創ってるものが一致しないみたいだけど。
幼稚だからダサいんだ。私はこんな撮られっ子ちゃんたち&山戸監督に連帯したくない。
「女の子」という観念にこだわりすぎてて本当にダサい。もっと自立すればいいのに。一人きりじゃ踊れない姿、寒い。
醜いみたいなカワイイじゃなく、キレイをめざしてほしい。
あ、冬だったのね? 体が温まった感じはよかったよ。。

英語といえば、、、
ニューヨークで英語全然使わずオール関西弁でまくしたてて全観客を挑発してるASUKA、とかが女性として好きだ。体鍛えて彼女に弟子入り(カブキウォリアーズ入り)したいぐらい尊敬してる。動画観るたびに力もらえてる。
ドイツ語では「女の子」「子供」は中性名詞、「女」は女性名詞。それがどうした、とは云わせない。大人をめざしてね。
「女の子の心を映した映画」って何? 新宿渋谷にノコノコ来ては新宿渋谷の悪口言う日本人って、能率悪いよ。それよりも、溜池山王駅で下りて総理大臣の悪口でも叫びなよ。

女の子の心を映した文学、ならばとっくに存在したよね。
日露戦争に応召した弟の身を案じて与謝野晶子は「君死にたまふことなかれ」を詠んだ。そしたら非国民扱いされ、自宅に投石されるなどのいやがらせを好戦的日本社会から受けた。それに対して毅然と「少女というものは皆、戦争を嫌うものだ」と反論した。日露戦争でつくった莫大な戦費の返済のために、その後日本は第一次~第二次大戦へと突進していかざるをえなくなった。
この場所のつまらなさは、いつ始まったと思う? 今どうしたらいい?
フランスやスウェーデンやロシアの映画の中の女の子たちがなぜ私たちよりも「解放されててイケてる」のか? 悪いとこもあるけど彼女たちは、幼稚じゃないんだ。日本人と違って。十八歳頃までには人前で政治的意見だってちゃんと表明できるように育ち、しかもそれを当然と知ってる。
映画を作る前に、ロックを生きろ。
エンディングの「パンチドランク・ラブソング」に合わせて私は小野洋子の「Sisters O Sisters」を口ずさんだ。もちろん英語でね(笑)。正々堂々すっぴんデコ出し黒髪ストレートロングで通した洋子は、元精神的マッチョだった夫ジョン・レノンを教育し、まったく同時期に彼にソロの最高傑作曲「Woman Is The Nigger Of The World」を書くに至らせた。
人よ、ロックを魂で聴け。


今さらだけど、2015年8月30日の反安保法案国会議事堂前デモ、私は当時の恋人が急用作っちゃったので、一人きりで参加した。自分なりの意気込みを示す “正装” として、盛りフルメイク&ミニスカ&11㎝ヒールで。当時は少し巻き毛だった。そんなカッコする女性はまあほかにはいない。誰に媚びたわけでもない。目立ちたかったのでもない。私なりのロックだった。危険と思ったらすぐ帰るつもりで。
私は東京ドームでのイベント仕事経験とかあるんで、今でも自信もって言いつづけられるけど、あの時の参加者は、木立や森や公園内や脇道に隠れてた人々や、駅で警官に妨害されて改札内に足止めされてた人々、遠慮して隣町に下がってた人々をふくめて、確実に30万人以上いた。目でしっかり私は数えたんだ。数万人とか10万ちょっととかいうのは完全に捏造報道だ。
人数はもうどうでもいいけど、私はほかの人たちのように「アベやめろ」や「憲法守れ」のプラカードを持つのはイヤだった。そんな標語が何よ? 安倍一人がやめたって第二第三の安倍(アメリカの操り人形)が出てきて無意味だし、日本国憲法なんてさっさと改正してより良い社会を作るべきだと思ってたから。洋子&レノンから生まれ出た「WAR IS OVER」は、大賛成だけれどもありふれすぎててやっぱり掲げたくなかった。(肝心の洋子は認知症のせいなのか日米の不法行為に沈黙して「イルカを殺さないで」などという変なことしか言わなくなってたし。)
で、私は自作した。可愛らしいプラカードを。ほかの人があまり書かない言葉を厳選して。外人にも読めるよう英語で、反米的な内容を面白く書いてイラストつけて、カラフルペイント。それ掲げてピカピカのパンプスで銀杏並木道をコツンコツン歩いたのだった。
そしたら、人気者になっちゃった。老若男女たくさんの人が寄ってきて、私に話しかけたり私を撮りたがったり握手を求めてきたりした。(さすがに、ナンパ類はなかった。)けっこう外人も多かった。反米プラカードに特に喜んだのは外人だ。喋ってみると、多くが「カナダ人」だと言った。たぶん嘘だろう。みんなアメリカ人だったろう。たくさんのそういう自称カナダ人と喋ってハグまでした。
デモ全体もほんと凄かった。決壊とかあった。胡散臭い親米的な学生連中SEALDsとは全然別の場所で、私はマイペースで30万人のごった返しを楽しんだ。
小雨が何度も降るし、トイレのこともあるので、予定通り一時間半で帰ろうと思い、議事堂からの帰り道の道路脇に、自家製プラカードを立てかけて少し座って一休み。
そしたら、同い年ぐらいの美人が一人きりで通りがかった。ジロッと私のプラカードを見て立ち止まった。デカ目で私よりも短気そうで鼻が高い。一言でいえばトップモデル級だった。無言で何十秒も私のプラカードを眺め下ろしてた彼女は、おもむろに、携帯で一枚パシャッ。それから、低い声で、地の底からの憎しみがこれだとばかりに「……アメリカ、大っ嫌い……」と吐き捨てた。本当に憎しみいっぱいに。
疲れていたので私は、特には答えず、プラカードの裏側(別のデザイン)を「こっちもありますよ」と撮るよう促した。「こっちは、いいです」と彼女はつまらなそうに携帯をしまった。
ほかに何も会話せず、彼女は歩き去り、私は荷物をまとめ直した。
嘘つきなダサいマスゴミがゼッタイに報道しえない事実だけど、あの日、30万人超のデモ参加者のうち、まちがいなく最も美しい女の子と、最もオシャレな女の子が、群衆の途切れの道端でアメリカの悪口だけを言葉少なに交わして火花を散らし合った、、、という新安保法案史上最も映画的な瞬間が、あったのだ。片隅に。
これが真の映画だ。

てことだよ。安保のことは、まあ、響かなければどうでもいい。女の子も男の子も赤ちゃんも老人も若者も壮年もなく、人として、人の道を生きること。それだけ。
コロナ一つがどうしたこうしたじゃない。どこかの属国にすぎない国の、最低首相の下にいて誰が幸せになれるもんか。
同じ “アジア” のマレーシアのヤスミンのオーキッド三部作を山戸さんは観たんだろうか。世界を変えるために必要なものは、母性かもしれない。勇気を伴った真の知性かもしれない。愛かもしれない。超越しましょう。


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