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ゲッベルスと私のBluegeneのレビュー・感想・評価

ゲッベルスと私(2016年製作の映画)
4.0
終戦前の3年間ゲッベルスの秘書をつとめたブリュンヒルデ・ポムゼルへのインタビュー(というより独白に近い)と、当時のニュースやプロパガンダ映像とで構成したドキュメンタリー。

戦後ずっと沈黙を守ってきたポムゼルは、撮影時は実に103歳だったという。顔や首や手に深く刻まれた皺がモノクロの映像によって際立つが、話しぶりは明瞭でよどみなく、記憶も驚くほどはっきりしている。

実直な内装職人を父にもつポムゼルは中学校を卒業したあとユダヤ人の弁護士事務所で働き始める。だがだんだん仕事がなくなったため、放送局に転職。第一次大戦に従軍した軍人の回想録のタイピストを務め、勤勉な仕事ぶりが認められて宣伝省に「栄転」する。彼女は放送局での給料のこと、さらに宣伝省に移ってから多額の非課税の手当てがついたことを詳細に語っている。また、「就職に有利だから」と勧められてナチ党に入党したときの様子や、10マルクの「入党料」を払うのを勿体ないと思ったこともユーモラスに付け加える。

原題が A German Life であるように、この作品でポムゼルは「平均的なドイツ人があの時代に何を感じていたか」を語っている。 彼女の想い出話からは、中流のごく普通の家庭に育った若い女性が、与えられた職務に全力で取り組み、まじめに生きていた様子がうかがえる。まさにドイツ的勤勉さの鏡だ。彼女自身、それを誇りに思うと語る。ただ問題は、それが宣伝省の仕事だったということーたとえば東部戦線の拡大とともにソ連兵によるレイプ事件が増えるが、ポムゼルは宣伝省が被害者数を水増ししていたことを知っている。「白バラ」(反戦、反政府のビラをまいた学生グループ。メンバーは逮捕後、死刑になった)のショル兄妹の裁判の資料を手にする機会さえあったという。彼女は上司の命令通り、その資料を見なかった。

私はこのショル兄妹の資料の件をとくに興味深く思う。彼女は兄妹に同情し、「ひどいことだった」という(2人は逮捕されて4日後に裁判にかけられ、死刑判決を受けてその日のうちにギロチンで処刑された)。だが同時に「ビラをまくなんて馬鹿なことをするから」と言い切る。あるいはユダヤ人に起こっていたことを「本当に知らなかったのだ」という。だが「たとえ知っていても何もできなかった」と自己弁護する。

戦後、多くのドイツ人が異口同音に「知らなかった」の大合唱を始めた。それがあたかも免罪符であるかのように。だが、たとえばポムゼルは自分の最初の雇い主の仕事がどんどん減っていったことを変だと思わなかったのだろうか?彼がドイツを去った理由に気づかなかったのだろうか?あるいはユダヤ人の友人、エヴァが職を失い、窮乏していくのをおかしいとは思わなかったのだろうか?ユダヤ人たちが家を追われてゲットーにおしこめられ、家畜のように貨車に積まれてどこか「東方」に移送されていくことを?

この作品ではポムゼルの語りの合間に多くのプロパガンダ映像ー一部はドイツ、一部は連合国側が製作したもの―が解説なしに差し挟まれる。ポムゼルの語る内容を補強するものもあるが、真っ向から否定するような映像も多い。ゲットーのユダヤ人が餓死した同胞たちの死体を荷車で運ぶ映像などは、「ドイツ人は本当にこれに気づかなかったのだろうか?」と突きつけているようだ。

彼らは何かが起こっていると気づいてはいた。だから「知りたくない」と思ったのだ。知ってしまったら罪の意識にさいなまれるような恐ろしいことだとわかっていたから。知ってしまっても反対の声をあげる勇気がないとわかっていたから。知らなければ自分の良心は傷つかないから。だから彼らは目を閉じ耳をふさぎ、ひたすら与えられた職務を果たすことに集中したのだ。ポムゼルはこういうー「当時は国中がガラスのドームに閉じ込められたようだった。私たち自身が巨大な強制収容所にいたのよ」。

この作品にはポムゼルを糾弾したり非難するようなトーンは一切ない。なぜなら「彼女」は「私」であったかもしれないからだ。もしあの時代のドイツに産まれていたら、多くの人は同じようにふるまっただろうからだ。彼女には少なくとも、知ろうとしなかった自分は間違っていたと認めるだけの勇気があった。
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