ごろう

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのごろうのレビュー・感想・評価

5.0
これでもかと吸いまくるタバコ。トリップするにもタバコ。そしてERでもタバコ。タバコは今もいつの時代もたしかにそこに写っていた映画の名脇役である。そんなタバコこそがタランティーノにとっては映画のアイコンとなる。ERではそんなタバコをマズいじゃねーかと自嘲気味に一蹴してみせたりして、それは、マズくても吸ってしまうどうしようもない愛であって、そっくりそのままタランティーノが持つ映画への愛なのである。つまり彼は映画史の屑拾いであって、それを嬉々としてやってしまうどうしようもないフリークだということで、だからこそ彼はクソまずいタバコに赤い林檎などというという名前をつけてしまうのだ。そんな屑拾いの彼だからこそあり得なかった歴史への想像力を人一倍働かせてしまうわけで、それはともかく、兎にも角にも映画とはフィクションであり、少なくとも現実の編集・再構成を行う創作であるから、現実との狭間で暴力が生まれることは避けられないのだが、それが根っからの屑拾いの手にかかってしまうと情が深すぎるゆえに、遊戯または悪戯に直接的で執拗な暴力として画面に現れてしまうのである。そして、ひとたびその暴力の餌食となった者に慈悲などある筈が無いというのがタランティーノが持つ賞金稼ぎの掟であって、それは、着火してしまった暴力はその熱量を焼尽するまで止むことないというこの世界の物理法則なのである。暴力の焼け跡に残った灰は文字通りその死のお陰で誰かが助かったという意味で生の肥やしになるのだが、この冷酷なエコロジーはシャロン・テートと彼女が背負った時代への慕情に回収され、それでいて全ては恩寵の下にあるかのようで、なぜこの映画が好きなのかといえば、「映画が好きだから!」ということになってしまうのではないかと思ったりもしたわけである。
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