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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのsleepyのレビュー・感想・評価

4.6
こうであって欲しかったという「願い」 ****


すでにディカプリオ、ピットが会見などで述べているので気恥ずかしいけれど、全編に1960年代後半、「69年」のハリウッドへの、LAへの、映画・テレビドラマへの、役者たちへの愛が、郷愁が溢れる。この頃は世相としても、大手映画産業にとってもどん底の時代(そんな中、あのヒッピームーヴメント、フラワーチルドレン、New American cinemaがあるのだが)。しかしテートが象徴する無垢があり、これが血にまみれる忌まわしいシャロン・テート事件があった。

本作は監督から69年への、シャロンへの恩返しであり、遅れて来た詫び状なのかも知れない。過去が「こうであって欲しかった」というタランティーノの願い。「みなさん、大丈夫ですか」と繰り返すインターコムのシャロンの声を聞いたとき、そしてここに不思議な「Miss Lily Langtry」(Maurice Jarre作曲。映画「ロイ・ビーン」の音楽)が流れた時、不覚にも胸が熱くなってしまった(つまりひとりの女性への憧憬だ)。

また、海外サイトによればブラピとディカプリオは、ハル・ニーダムとバート・レイノルズの印象をダブらせているらしい。日向日蔭にいるさまざまな役者と裏方へのシンパシー。映画ファンにはこれも胸アツ。後70年代半ばに二人は監督・主演名コンビとして多くの作品でみなを楽しませた(「トランザム7000」「キャノンボール」シリーズ。そしてそのものズバリ「グレート・スタントマン」)。そういえばディカプリオにはレイノルズの面影がある。本作にも出演予定だったが昨年9月逝去。代わりにB・ダーンが演じた。

タレントたちが、ラスト13分にぶっとんだ、というような宣伝コメントをしているけれど、テート事件を知って言っているのかやや疑問(確かにぶっとんだけれど)。予告編からは想像もつかないようなこの13分にはひっくり返りそうになったし、知らなくとも危険なカタルシスが確かにある。しかしテート事件を知っているとそのカタルシスとエモーションは何倍にもなるだろう。いや、質が違うものになるだろう。

本作は単なる聖林裏話ではない。能天気な「あの頃は良かった」でもない。ブラピが言ったように、イノセンスの喪失。テートが自身出演作を劇場で観るところの愛おしさ・可愛さ。何が起こってもおかしくない街と人生と時代。本作は一種のパラレルワールド。まだまだ見落としている点がありそうな飽きる間もない161分。ディカプリオがお茶目で良いけれど、飄々としているが危険な香りプンプンのブラピがさらに素晴らしい。それとエンドロールの終わりに・・・。

余談1:ポランスキーは本作を観たのだろうか。どう思ったのだろうか。妻セニエはSNSで抗議したらしいが。余談2:(そっくりさん演じる)マクイーン(ディカプリオ役と正反対の役どころ)とブルース・リーも登場。余談3:本作がスコープサイズであることも重要だし、既存の音楽使用のセンスが抜群。最高に手のこんだ楽屋オチ?もいろいろ。
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