よしや

I am Sam アイ・アム・サムのよしやのレビュー・感想・評価

I am Sam アイ・アム・サム(2001年製作の映画)
4.2
中心となるのは知的障害のあるサムとその娘ルーシー。「変わらないものは愛情である」でも変わっていくものも同時にある、そんな映画です。

サムは知的障害がありルーシーはそれを分かって愛し合ってる、でもそこに現実が牙を剥く。無慈悲で客観の塊として裁判という視点を持ち込んだ構成の巧さが光る。
映画を観ている私たちは「親子2人は引き離されるなんてそんなこと望んでないのに」と思ってみるが裁判で叩きつけられるのは残酷な現実。発達の遅れたサムの知能を娘のルーシーが否応無く追い抜いてしまう。

弁護士のリタがサムに心動かされたというより奉仕活動が出来ると周りにアピールするため打算的に無償で弁護を引き受けるのも良い。
最初のリタは仕事に忙しく、サムを邪魔者と考え電話すると嘘つき誤魔化し、息子ウィルとは上手くいかず夫にも怒鳴り散らしている。そんなイライラなリタにアシスタントの女の子はビクビクしているし仕事仲間からの目線も冷たい。
しかしどうせ裁判をやるからにはリタは勝利を目指して戦うし、その過程でサムや家族との関係が変わっていく、見方次第ではリタの変化の物語でもある。

サムが「7歳の娘ルーシーより知能が劣っているのではないか、」と問われた時に「ある面では自分の方が優れていることもある」と言うが、リタは自分より遥かに知能の劣るサムが息子のウィルと容易く心を交わしいるのを目にして同じことを思ったのだろう。

ついに心折れ引きこもるサムの家にリタが押しかけ胸の思いをブチまけるシーンがこの映画の1番熱いシーンか。リタの私だって完璧じゃないのよっていう心情の吐露は心を揺さぶった。

知的障害という難しい配役であったが滑舌等話し方、動作から何までショーン・ペンの演技は真に迫っており完成度が高い。
ダコタ・ファニング演じる娘ルーシーもその訴えかける表情は純真そのもの。「different」のシーンが好き。真摯さと可愛さがある演技は日本の嫌味な子役たちも見習って欲しいところである。
ミシェル・ファイファー演じるリタの素晴らしさは前述の通り。

カメラワークも良い。知的障害のあるサムの不安定さを示すためにカメラは揺れるし、ショットは目まぐるしくカットされる。

構成についてもサムが裁判序盤で「隣の席空いてるよ」、なんて言うシーンがあるのだが、終わり際には娘ルーシーが「明日は隣に座るからね」なんて言うシーンはオーバーラップさせているのかな、とは思った。

シリアスな映画なのだがミキサーが爆発したり、ケーキ?クラッシュしたり、バスに乗り遅れたり、プラカードが用意されていたりと細かなポップなコメディシーンも多く、重くなりすぎずに観れるのもポイントが高い。

母親の色は赤、なんて台詞があってサムがリタの家に来た時背景の壁は真っ赤なんですよね、考えすぎか。
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