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真夜中の少女たちのshishiraizouのレビュー・感想・評価

真夜中の少女たち(2006年製作の映画)
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〈何気ない日常の中、微妙な年頃のゆれる心情〉を描くというオムニバス映画。4つのエピソードが30分ずつ語られたあと、エピローグで各挿話の物語が収束する。

総監督的ポジションである堀江慶が2話の演出を担当し、残り2話をこれがデビュー作になるという佐伯竜一が担当しています。

テキトーな映画がほとんどを占める、現代アイドル映画というジャンルからいえば、『真夜中の少女たち』は少なくとも真面目に作ろうとされているし、アイドルを可愛くもしくは魅力的にみせるという、ジャンルとしての最低ノルマはクリアされていると思います。

しかし、たいへん退屈な映画で、人間なり少女なりの認識は浅はかかつ陳腐、なんでも“わかってる”という気取りは鼻持ちならず、すっかり白々しい気持ちに支配されました。
(以下、当時の状況と感想)

○第1エピソード『シブヤドロップス』
(監督:堀江慶、脚本:森美樹、堀江慶、主演:高部あい)

放課後、友達と渋谷に遊びに繰り出した高部あい。夜までふたりしてはしゃいだあと、断固として帰らない、渋谷にすむと言いはる高部あいは、毎日同じことの繰り返しに飽いていた。夜の渋谷を彷徨中、カフェバーで働く青年と知り合い、そのカフェバーに集うホームレス達とも交流を深める。。

今作、このオムニバスにあって、軒並み足踏み状態ぎみのアイドルたちがキャストにラインナップされているなか、ミス週プレGP、新進アイドル・高部あいはもっとも昇り調子というか、ブレイク前夜といった明るい輝きをはなつ。最大の魅力である眩しいばかりの清潔な笑顔は、肌理のこまかい滑らかな頬に屈託なく浮かぶ。浮浪者連中と深夜に“屈託なく”戯れて遊ぶときも勿論楽しそうな笑顔がみえる。
しかし、その屈託ない笑顔を受け止める浮浪者連中が陰影も哀愁もなく、薄っぺらい存在感しかないように、話も描写もお粗末きわまりなく、これならまだいかにもテキトーに作りましたと言わんばかりのジャンクな凡百のアイドル映画群のほうが好感がもてる。渋谷でハシャぐ女子高生二人の描写が、ジャンケンして「今のアトダシ~!!」とか、寒いにもほどがある。ゲリラ的に撮るという知恵もテンションもないのか、四六時中通行人が二人に注目しているし、スタッフが見切れている気もしないでもない。。服も髪型も歯もきれいなホームレス。ステキな絵を描くカフェバーで働く好青年。数を数えているあいだに遠ざかる彼‥。バカみたい。

○第2エピソード『ベッドタウンドールズ』
(監督:佐伯竜一、脚本:吉井真奈美、主演:長谷部優、上堂薗恭子)

仲良しの長谷部優と上堂薗恭子。長谷部に彼氏がいることを知った上堂薗は、足の悪い自分にいつも長谷部をつきあわせることを重荷に感じる。二人の感情にすれ違いが生じ、深夜の学校の屋上でモヤモヤしていたお互いの思いをぶつけ合う、ふたりの好きなプロレスで。。

女二人×プロレス、という、ロバート・アルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』をモチーフにしたと思しきこの第2話、まず脚本に難あり。兄or父の多大な影響という影もべつにみえないがプロレス好き、という女子二人の設定を良しとするとしても、話題が猪木にホーガンって‥‥いったいいつの時代だよ!石器時代のプロレス観からくる、クライマックスの屋上でのプロレスも地味で古くさい大技のスローモーな応酬。『カリフォルニア・ドールズ』を夜テレビでやってたあと、そのあとK-1やってて寝不足って‥いったいどんな番組編成なんだ!?オセアニア大会だって深夜の『カリフォルニア・ドールズ』放映のあとにはやらないって!K-1もプロレスもゴッチャになってて、プロレスイコール深夜にやるもの、という短絡からきたセリフにしか思えない。
ナメられていた温水洋一先生がシリアスに言う「お前は、足の悪いことに甘えてるだけだ、そんなんじゃ、大事なもん、見えなくなるぞ」というセリフがひとつのキモとなっているのですが、いかにも浅い台詞‥。

作品的には、女の子同士の会話も自転車での道行きもなかなか良く、関係性の変容もハードルは低いながらもきちんとつながって感情のみえる場面が続いた‥って第1話に比較するとつい点が甘くなる。
しかしやはり、足のケガと自転車での送り迎えに絡んでのクライマックスが深夜の校舎屋上でのプロレス、ではモチーフがチグハグでそもそも悩みもくだらない‥映像化する価値のあるお話とは思えない。
正直、下世話な話、このエピソードの最大唯一の見所はふんだんに出てくる長谷部優の女子高生制服姿。キャリアがずいぶん長いから、女子高生役はちょっと無理しすぎ‥と思いがちですが、よく考えたらまだ20歳くらいだった。スカート丈の短いルーズの脚で躍動する長谷部優の動きを追うことのみが、この挿話の観賞を耐えうるやりかた。その意味では、ただしくアイドル映画だとも言える。上堂薗恭子もなにげにけっこう前からいるかたですが、魅力が分からないのでなんともコメントしようがない。

○第3エピソード『クラッシュ・ザ・ウィンドウ』
(監督:佐伯竜一、脚本:十河直弘、堀江慶、主演:渋谷飛鳥)

優等生の渋谷飛鳥は生物の先生に恋心を抱いている。年下の男子に想いを寄せられている。その年下の男子とデートをしたあと、夜道で自動車に乗っていた先生夫婦に遭遇し、先生の、夫婦間の円満さを目の当たりにし、先生に送られる夜道、車外にでた渋谷は暴れ出す。こうでもしないと先生私のこと見てくれない。さまよう夜の街角、渋谷飛鳥はまっすぐに自分を追いかけてきた男子に、体を許すと言いだす‥。

スタンダードに撮られた、なんということもない話。ロケシーンもちゃんとしてて、テレビドラマくらいの演出。先生と奥さんの乗った車に遭遇するのが、故意か偶然か今ひとつわからなかった。主演の渋谷飛鳥はアイドルというより女優といえるキャリアと実績をもち、今年は『デスノート』2部作で大ヒットをとばした金子修介監督の映画『神の左手 悪魔の右手』でも主役をはった。この挿話でも、先生への“本気”を子供扱いであしらわれて気持ちを爆発させる役を順当に演じています。で、面白いかというと、別に‥。

○第4エピソード『センチメンタルハイウェイ』
(監督・脚本:堀江慶、主演:佐津川愛美)

家庭は崩壊し経済的にも破綻をきたし、部活を辞め好き同士だった先輩も離れていった、佐津川愛美はテレコに向かい、この地球でいきる最期の日の言葉を記録する。家にもどると借金とりらしき男(津田寛治)が押しかけて来る。。

母親の好きだったらしき男への、反発と交感。高台から町を眺めてのモノローグ。不透明なガラス戸ごしのやりとり。いかにも映画っぽい道具立てだが津田寛治の台詞や演技が設定と噛み合っていない気が。

佐津川の、え、ママ?前に、好きな人できたって言ってたじゃない?その人のことは、ホントにもういいの?という呟きはしかし、そのママのキャラクターも今ひとつ不明、津田寛治のキャラと設定の遊離、佐津川愛美の切羽詰まってるはずなのにどこかノンビリした平和さによって、何だか良くわからない、抽象的なネタにしか見えなくなってしまっていた。思わせぶりな、母との“ある計画”も、勝手にしてという感じ‥。

佐津川愛美、『ギャルサー』やドラマ版『がんばっていきまっしょい』、映画では『蝉しぐれ』や『笑う大天使』‥。シリアスななかにも、どこかユーモアが漂う表情や立ち振る舞いが才能。

さてこの映画、こうしてみてくると総じて新人・佐伯竜一の演出は比較的的確で、総監督である堀江慶の演出のほうが格段に冴えない、という皮肉な事態が判明‥。堀江氏は、才能の有無がどうこうという以前に、ただ単に頭が

2007.1
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