しの

生きてるだけで、愛。のしののレビュー・感想・評価

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
4.0
心の病を抱え、情緒不安定な主人公。一見キワモノだが、次第に彼女が不器用で繊細な人間であることが分かってくる。誰もが感じる社会での生きづらさ。惨めな負のスパイラルにあっても、生を渇望する切実さ。もがいた先にある一瞬の交感とその多幸感に希望を感じる。

まず、主人公の演技効果が絶大だ。例えば、ブレーカーが落ちたときの恐怖感、一人で買い物をするときの寄る辺なさ、社会に対する苛つきと自分に対する苛つきの綯い交ぜ感……。言動だけ見れば無茶苦茶だが、その根源にあるのは人一倍の繊細さなのだと分かる。不安定で脆弱な心が見えるからこそ切実さが伝わる。

一方彼氏役だが、こちらもエキセントリックな主人公を相対化するキャラクターとして魅力的だ。主人公とは違ってすでに社会の中で生きている彼だが、やはり彼は彼で問題を抱えている。しかも、その根にある鬱屈は主人公と同じ性質のものなのだ。

だから自分は、彼らの馴れ初めのシーンを観た時点で「この二人は相性抜群だ」と感じた。片方は感情を発散させ、片方は押し殺す。性格は正反対だが、同じように社会での生きづらさを感じている。だからこそ惹かれ合うのだし、支え合えるはずなのだが、そこに至るまでの道が本当に険しい。

女→男の依存描写に比べ、男→女への想いがなかなか描かれず、これはあまりに主人公主体すぎないかと一瞬思った。しかし終盤、寧ろこのバランスこそが肝なのだと悟った。もちろん、「相手がなぜこんな自分と一緒に居てくれるのかわからない」という主人公の焦燥を体感させる意図もある。しかしもっと重要なのは、これは不器用な二人だからこそ生まれる歪なギブアンドテイクの関係と、そんな歪さを抱えてもなお二人を繋ぐ「愛」を描く物語だということだ。

そういう意味で、説明的な長台詞に頼ったクライマックスも本作に関しては許容できた。それは、今まで互いの不器用さに甘え、一方的で不安定なコミュニケーションを取ってきた者同士が、ようやく確からしい全力の「言葉」をぶつけ合えた瞬間だからだ。だからあのシーンには途轍もない多幸感がある。

強いて言えば、彼氏の元カノというキャラクターが残念だった。まずあの高飛車な演技や口調がやや過剰で他と比べて不自然だし、ストーカー気質のキャラ付けもまた過剰だ。そういう過剰さの割にキャラとして深掘りがされず、単なる踏み台になっているのが惜しい。

「生きてるだけで疲れる」と感じる瞬間がある。本作は、そんな日常の些細な一瞬一瞬を拾い上げ、増幅させてくる。人は誰しも「疲れ」無しに生きていけないのだ。

しかし、その中にこそ希望があるように思う。それは、自分と共に「疲れ」ようとしてくれる者の存在だ。服を脱ぎ捨て、自分の弱さを晒し、それでもありのままの自分と一緒に居たいと思ってくれる人。大事なのは、全てを理解し合うことではない。理解したいと思い合い、互いに歩み寄ることなのだ。そういう関係性を、我々は「愛」と呼んで良いのではないか。
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