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パンク侍、斬られて候のnetfilmsのレビュー・感想・評価

パンク侍、斬られて候(2018年製作の映画)
4.0
 鳳凰のような模様が書かれた水色の着物の上に、白と朱色を基調とした上着を羽織り、足元は草履で固めた男が、街道沿いの茶屋町に颯爽と現れる。掛十之進(綾野剛)という男は、団子と茶を頂く長岡主馬(近藤公園)の前で、扇動者に付き添われた巡礼中の男(町田康)に突然斬り付ける。その刀の一太刀は通常の時代劇よりもややストロークが長く、速い。その並外れたバイオレンスにすっかり食欲が削がれた長岡は、宿場町に突如現れた凄腕の浪人を問い質す。黒和藩の藩士に行いを咎められた男は、巡礼中の男は国に災いをもたらす新興宗教「腹ふり党」の者だと嘯く。近頃、流行病のごとく民衆に拡がる「腹ふり党」は邪教の民に蝕まれ、やがて国を滅ぼすと危機感を抱いた長岡は、黒和藩の出頭家老の内藤帯刀(豊川悦司)と黒和藩次席家老の大浦主膳(國村隼)という犬猿の仲の2人の緊張関係にも影響を及ぼす。このように物語の骨子は黒澤明の『用心棒』を踏襲している今作は然し乍ら、掛十之進というトリック・スターの欺瞞を最初から開示する。「腹ふり党」の党員には必ずサナダムシのような渦巻きのマークが彫られているが、その紋様が死体の体にはどこにも見つからない。

 町田康の原作小説の映画化は、当初こそ桑畑三十郎のような掛十之進の深慮遠謀で事が進むように見えるが、失脚を恐れた内藤と掛十之進が「腹ふり党」をでっちあげようと、茶山半郎(浅野忠信)を祭り上げようとしたところから、どうも雲行きが怪しくなる。そもそも権力闘争の舞台となる黒和藩は財政が逼迫し、正論しか言わない黒和藩の藩主・黒和直仁(東出昌大)の手綱捌きにも希望が持てない。しまいには閑職に追いやられた大浦主膳と長岡とが、人間の仕いである猿と接する事で逆に人間としてのやりがいを取り戻す。映画は江戸時代中期の物語ながら、現代の日本を強烈に風刺する。それは大浦の用人だった幕暮孫兵衛(染谷将太)の振り切れっぷりにも如実に示される。だがその段階になってもなお、権力闘争に終始する掛十之進たちは茶山半郎を担ぎ出し、物事の辻褄合わせに終始するが、そこで90年代以降の石井映画に顕著な宇宙の真理が顔を見せる。クライマックスの群集劇はまさに『300』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の方法論で、『狂い咲きサンダーロードや『爆裂都市 BURST CITY』をやっているようなカオスな狂乱を見せる。

 だが映画の暴動とも称された80年代の無軌道な乱痴気騒ぎに対し、娯楽映画に徹した石井はVFXの洪水の中に登場人物たちの最期の瞬間をその都度あしらいながら、ロジック的な落ち着き(間)をもたらそうとする。しかし一見、正当な時代劇に見えた神話的ファンタジーは、娯楽映画というジャンル映画の範疇を易々と飛び越えてしまう。破綻しているようで収まりの良い物語はその実、収まっているように見えて大きく破綻している。宇宙との対話を実践した戦いは、傾奇者たちの群衆映画というロジックを大きく逸脱しながら、DNAレベルで宇宙との対話を試みる。そこから先に共鳴出来るかどうかは、あなた自身に委ねられている。
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