ギズモバイル

パンク侍、斬られて候のギズモバイルのネタバレレビュー・内容・結末

パンク侍、斬られて候(2018年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

<ザックリ評価>
類い稀なる傑作といえる。従来の型に囚われない、というか寧ろそういうのを積極的に踏みにじっていく作品でありながら、登場人物がほぼ全員社会不適合者の凡夫であり、そしてその凡夫の心理描写が卓越している。そういった芸当ができるのも、作者が凡夫性と精度の高い客観的描写能力を併せ持つからであり、尚かつタイトルに表現されるような純度の高い反権威主義的な精神と天才的なユーモアセンスをも併せ持つことによるのだろう。そんな原作の魅力をほとんど剥ぎ取った劣化版焼き回し実写映画がこちら。

<魅力>
・俳優

<不満>
・脚本
・演出
・アレンジ


<詳しい感想>
映画も小説も、魅力ある作品は大きく分けて2つの系統に分けれらるのではないだろうか?一つはプロットや筋書きで楽しませる作品で、もう一つは演出や文体で楽しませる作品。どちらも良く出来ていれば当然名作となるが、大概はどちらか片方がずば抜けていれば十分良作と評価されうる。まあ、人間の脳はなんでもかんでも魅力を汲み取れるほど器用には出来ていないのだろう。

無難に実写化できる小説は大抵が筋書きに魅力があって、文章は要するにそれをイメージさせるための単なるツールでしかないし、それで十分だし、もっと言えばそのぐらいのほうが実写化しやすい。しかし、もし文体…すなわち文章「そのもの」に魅力がある小説があった場合、それは実写化によって魅力を表現できるのだろうか?

本作が選んだ手段は、原作のプロットを可能な限り忠実に再現しつつ、センスのある解説やセリフは文体そのままに引用するというもの。これはいわゆる安全策ではあるが、決して最善策では無い。要するに、「映画の尺におさめて原作の内容を70%ぐらい再現するのでこれでなんとか手を打ってくださいな、へへっ」という打算的で依存的な発想が見え見えであり、もうなんか根本的にパンクじゃない。しかも小説の文体と映画のセリフとでは内容が同じでも与える心理効果も微妙に違うのに、その辺が考慮されて調整されていない。でこれじゃ劣化版になるのは当然であり、ファンの心理としては、正直この小説のタイトルを冠した劣化版のコンテンツなどこの世にできるなら存在して欲しくないな、と思ってしまう。原作まで駄作と思われてしまうではないか。

劣化版を作るなら作るで、それなりに映画としての完成度を追求するスタイルを選んでくれたならば、まだ存在価値があったかもしれないのだけど、この映画と来たら無茶苦茶な部分だけはキッチリ小説に追随して、知性的な部分はまるで表現できていなかったくせに、映画として要求されるある種の「完成度」すらも放棄していた。そもそも原作が面白いのは、「時代小説」として型破りなスタイルであり、これこそがパンクと言えるのだけど、映画なんて、もともとある程度なんでも有りが当然なので、時代小説にイメージするような固さなんて今時存在しないし、そもそも予告編でもう無茶苦茶な内容なのが宣言されているので、原作と同じ路線を走っても、まっっったく違和感もないし、意外性も無いし、当然映画として反権威主義的でもない。完成度も放棄してる時点で、ただのそのへんのありがちなジャンク作品でしかない。そのへんを監督も脚本家も理解できていなかったのだろう。こうして、原作の魅力という魅力を綺麗に剥ぎ取った、劣化版コピーが生まれたわけである。

特にがっかりだったのは、浅野忠信かな…。あのアレンジはセンスがなさすぎる。原作ではもっと知性と凶悪性を併せ持つ慇懃無礼な個性あるキャラクターだったのに、映画ではそれが理解されず、単なるヤケクソな狂人にしてしまってる。まったくセンスも才能も感じられない演出だったし、もっと言えば顔のメイクが一番残念だった。あれは原作でも屈指の名場面で、必笑を約束されているべきシーンなのに…。劇場で生まれたのは苦笑だった。エンドロール退席率に関しては今年No.1。なんかもう監督も脚本家もダブルで残念でむかつく。