何もかもが究極的

来るの何もかもが究極的のレビュー・感想・評価

来る(2018年製作の映画)
3.4
ドラマ演出自体は、既存の作品を踏襲したものだが映像表現には魅せられる。
長ゼリフや微妙な感情表現は、下手というかできない監督だが、できない事を理解し映像演出でカバーしている部分が面白い。
できない事はやらない。逆にできるところはとことんやろうというわけだ。
ドラマ部分は、毎度同じみ薄っぺらく中身のない連中が皮肉めいて描かれ、そいつらを惨殺するというもの。「告白」以降、そういう表現しかしないのは、それしかできないし受けるとわかっているからだろう。
では、何故受けるのか?多少、極端な誇張がされているが、中島監督が描く連中は社会で勝ち組と言われている人種だ。人は普段、彼らに羨望の眼差しを送り自分もなりたいと望むが、彼らが自分たちよりも優遇されている事を妬んでもいる。
どんな人間にも嘘や残念な部分やあるが、
中島監督は勝者の卑しさに焦点を当てがちなのは、彼らに虐げられている人間が喜ぶからだろう。
それはホラー映画でイチャつくカップルが最初に殺されるのと同じようなものだ。
だが皮肉な見方をすれば、弱者の為の用意された映画に弱者が金を払い、彼らが心のどこかで憎む勝者の懐を肥やし、弱者はまたそんな映画を見るために働き勝者に虐げられるという現実が飼い慣らしの為の歪んだシステムのように思える。