あもすけ

来るのあもすけのネタバレレビュー・内容・結末

来る(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

押し付けたり、弾き返したり、分散したり、それぞれが張っているバリアと、行き交う痛みを追っていた。なにをするにも伴う痛みというのはあるし、だから生きているだけで痛いのに、ひとりひとりがその痛みを軽くしたくて、その術を学んで、でもそうして軽くした分というのは、消滅しなくて、流れとなって、受け止めてしまう誰かのところに溜まって、澱んで、破裂する。お祓いのプロたちの感覚がとても面白かった。自分たちの命に関わる会話が淡々としていたり、テレビ出演時とのギャップとか、でもそれも、それぞれの場での引き受け方そして引き受ける者としての覚悟みたく思える。姉の冷たい口ぶりも、優しい言葉を発することで自分の引き受けるべき痛みが相手に移ってしまうのを避けるためなのかも。いつも誰かがそうやって、大きくなにかを引き受けていて、わたしもきっと助けられてしまっているのだとしたら、気づきたいし、見つけたいし、想像できてたいし、自覚していたい。痛みを信じられても、その痛みが刃を向ける根拠とならないように、相手の痛みに目を向けられるように、そしてその痛みは、無くしてしまえるものじゃないから、痛みごと存在を肯定し合えるようになれたら。いろんな場面で苦しかったり悲しかったりしながら、お互いのこととして考えていた。終盤、呼び込んだ者との血みどろの攻防と同時に、痛みの行き場が目まぐるしく変わっていく人間同士のやりとりにハラハラしながら惹き付けられた。前半とは変わって、自分で受け止めようとする人たちの、心のぶつけ合いだった。
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