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来るのeyeのレビュー・感想・評価

来る(2018年製作の映画)
3.7
"来る" (2018)

昨年 公開早々に劇場で鑑賞したが
今回レビューを書く為 再鑑賞してみた 

何かがあるように見せるホラー系を醸しつつ

実際は 

"アレ" 

という抽象的な表現を用いる

想像力を全面に押し出しつつ
"概念" を捉えていく物語

目に見えない霊障は

"アレ"

に全て置き換えられている

観衆を

"アレ"

にいざなう方法はいくつもある

・血が飛び出す
・腕が捥がれる
・背中に咬み傷をつけられる
・何かに取り憑かれる
・ポルターガイスト
・芋虫が過去と現在を紡ぐ
・喉ばっか渇いて水を欲する
・魔導符

セリフからも"概念"が読み取れる

>"アレ"は強い意志で「あなた」と「あなたのご家族」を狙っています。

>(なんで なんですか?)分かりません。分かる必要もない。大事なのは「どうして」ではなく「どうするか」です。

>"アレ"は極めて強い意志で「あなた」を狙っています。

>"アレ"は「あなた」を追いかけてるから。

>"アレ"は色んなモノを呼び込んでとても大きくなっている。

劇中は主人公 秀樹のトラウマを中心に描かれる
"アレ"に呼び込まれ 行方不明になった少女

少女の名前は知紗だが 行方不明になったあと
ショックが強く秀樹の中で抑圧する

少女が残す "山に呼ばれる" というフレーズ

山は ある種 "地獄" であり "あの世"

冒頭は 父親 田原秀樹を中心に展開される
秀樹は表向きは完璧なイクメン

裏の顔は子どもの育児を放棄していて
仮想世界の育児ブログに夢中

ほぼネグレクトのダメ男

夫婦関係は上部だけで もはや破綻している
家の中は荒れ放題になっている

3人の描写の際は家が退廃しているのに
客人が来たときにはキレイに片付き
妻 香奈・知紗にも笑顔が見られる

秀樹は自称 霊媒師の真琴に
「ある指摘」をされる

>妻と子どもを大切にしろ

家族心理学においてIPは家族自身であり
問題解決を目指す時に全体を捉える

真琴はある意味 カウンセラー的な役割で
真っ当な回答を秀樹に与えている

秀樹は居なくなった少女の名前を自分の子に
知紗と命名するということに気づいていない

やがて 秀樹は"アレ"に騙され 殺される

秀樹 亡き後

妻 香奈は仕事や育児ストレスを溜めつづけ
知紗は熱を頻繁に出すようになる

これも『親のストレス』を指摘される

香奈は自分の母親の姿を追いかける
最後は育児放棄した母親の姿に同一化する

生きたいように・やりたいように変貌する

夫婦揃って子 知紗に対して心理的な虐待を
与えていたことが分かる

"アレ" は言葉にするなら

"悲哀" "憎悪" "嘘" "虚無"etc. が挙げられる

劇中最強の霊能力者である比嘉琴子は

"アレ" について

「鏡と刃物を酷く嫌う」と述べている

鏡は内と外(自分を映し 他人をも映す)を
繋ぐツールで 刃物は痛みのメタファー

弱さは這いつくばる芋虫を連想させる

琴子は除霊中 ライター 野崎と妹 真琴に怒り
やがて腹の虫がおさまらなくなる

琴子は血と共に芋虫を吐き出し
不様な祓いをしている自分にも腹が立つ

最終的に "アレ" を退治したのかは 判別不可

ラストは秀樹と香奈の子どもである
知紗がオムライスの夢を見ている

オムライス = 山

オムライスにはケチャップ

ケチャップ = 血

野崎・真琴・知紗が生き延びて
明るい未来を捉えるように見せておいて

劇中の展開から

『予後不良のエンディング』と考えたが...

ホントの結末は如何に…
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