KeithKH

あの日のオルガンのKeithKHのレビュー・感想・評価

あの日のオルガン(2019年製作の映画)
4.0
大災害の日として3月11日は強烈な印象がありますが、その前日の「3月10日」は、実体験した人も数少なくなってきた東京大空襲に見舞われ、10万人に及ぶ死者を出した日です。
既に空襲を予想して東京の多くの小中学校が郊外に疎開した中、本作は、53人の園児を連れ、まだ誰もやったことのなかった集団疎開を敢行したいわゆる「疎開保育園」と推進し実行した若き保母たちを描いた、実話に基づく作品です。

それは、決して職務から導かれた単純な使命感によるのではなく、命を守らなければならない純粋な倫理と普遍的悟性による人間愛に基づく行為だったと思います。但し、自我が未確立の園児の集団疎開には父母の理解が得られ難く、また疎開した先の地元住民との軋轢にも遭って、彼女たちは苦難の道を歩み続けます。
苦労しながら実現せしめ、終戦まで貫徹しきった彼女たちの行動は、本能的な母性に由来するものとも看做せます。
作品中で戦争そのものを直接的に描写することは、東京大空襲の片鱗をなぞったシーン以外に殆どなく、疎開生活の日常をやや散文的に淡々と描いていますが、それが却って戦争の悲惨さを深く染み入らせます。本作は、銃後の守りを担い、只管内向的に苦悩し実生活で苦心してきた女性の立場・視点から描いた戦争史といえると思います。
その中心人物である主人公・板倉楓役の戸田恵梨香には目を瞠りました。気丈で毅然とした姿勢で疎開の実現に奔走し、疎開後の諸問題に対峙し、園児たちの生活を守ることに率先して指導・実践した役は、将に彼女の適役です。確りした人生哲学を有した芯の強い女性を演じては、その演技力は今や卓越した存在ですが、彼女の仲間となる若い保母たちを演じた大原櫻子以下の若手女優の熱演も、やや平板さも散見されるものの、大いに心揺さぶられるものでした。

ラストの、終戦を迎え一人ずつ帰省していく中で最後に残った兄妹が、音信不通のまま兵隊から復員し飛んでやって来た、妻と死別していた父との再会は感動的でした。父と子の劇的出会いに、そしてその時に主人公・板倉楓が堰を切ったように慟哭するシーンには、不覚にも落涙してしまいました。
板倉楓にとっては、長年に亘り張り詰めていた極度の緊張感と空襲の脅威への警戒意識が一気に取り払われ、心の奥底から込み上げてくる感情を抑えきれずに流した涙。一つのことを最後までやり遂げた後の達成感と満足感と解放感、そして自負に満ちつつ発する慟哭は、男でも女でも、これほど美しく崇高なものはないと思います。況してや53人の幼児の命のギリギリの瀬戸際を粛然と守り切った、これ以上ない重く重く重い責任を果たし尽くした姿、そして彼女が流した涙ほど神聖で尊いものはないと確信します。