マクガフィン

ここは退屈迎えに来てのマクガフィンのレビュー・感想・評価

ここは退屈迎えに来て(2018年製作の映画)
3.3
ありきたりなロードサイド店舗がある地方都市を舞台に、みんなの憧れの的だった椎名くん(成田凌)を基軸に巡らせ、個々を交差させながら描く群像劇。原作未読。

個々のオムニバス形式で時系列をシャッフルするかのように移動させながら、人物を絡めていくので、序盤は分かりにくい。また、車のフロントガラス越しや、ファミレスのガラス越しの会話は、地方の閉塞感と女性達の窮屈さの心象描写だが、映像の文体として物足りない。個々の女優たちに特徴があるので、飽きはしないが。

基点にある高校時代の過去パートが役者達の年齢により生彩を欠くことに。特に憧れの的の椎名くんの高校時代の輝きや魅力が全く感じないのが残念で、終盤への呼応もイマイチだが、田舎の狭さによる限界のようにも感じる。

現状の不満から過去を美化しても、現状への不満を大きくして、自分が苦しむだけだろう。楽しかったことや思い出の個々の乖離や、スクールカーストをピラミッド形ではなく、円状の層に例えたことに感心する。

後半に集約するようになると、面白さが際立つ。
「茜色の夕日」の曲は知らなかったが、橋の上で門脇が歌うことから始まる、個々が歌うシーンの積み重ねにより相乗していくこと。更に、普通のおっさんに成り下がった椎名くんに会えた楽しさから、もぞもぞするかわいらしさからの、最後の椎名くんの言葉に呆然とし、現実に突き落とされる橋本愛の表情と一連のシークエンスが秀逸。

都会への憧憬、現実の妥協、未来への諦観による地方都市の倦怠に、地方の視野の狭さ、文化水準の乏しさ、性の奔放を取り入れるが、女性描写の鋭さが少ない。性別で判断するのは良くないが男性監督の限界が垣間見れ、女たちの現実と理想が乖離の幅が緩い原因に。しかし、前半に問題があっても後半が盛り上がることが、映画を引き締めた原因で、後味がしみじみ漂い、余韻が充満する幕引きが印象的に。