ohassy

ヘレディタリー/継承のohassyのレビュー・感想・評価

ヘレディタリー/継承(2018年製作の映画)
3.5
家族とは幸福の象徴か、はたまた呪いか


ちょっとしたことでどちらにも成りうるのが「家族」というものの強烈さだろう。
つながりと捉えるか、呪縛と捉えるか。
それは表裏一体であり、ある人にとっては大切なつながりだし、ある人にとっては消せない刻印のような呪い。
どちらとも言えてしまう。

「ヘレディタリー」とはまさに代々の呪いの継承という意味で、本作は何をどうしようとも逃れられないことへの恐怖を描く。
血の繋がった親子というものは嫌が応にも色々なものが遺伝していくものだけれど、本作ではそれを、呪いそのもののとして具現化し、目の前に取り出して見せる。
監督は個人的な経験から本作の着想を得ているらしいけれど、どれだけの理不尽な出来事に見舞われたのだろう。
「呪われている」と思わざるをえないような出来事に。

例えば、父親がアルコール依存症でDVだが苦労の末家族の力で父親を回復させる。
これは家族でなければなかなかなし得ることは難しいことで、その物語は家族の愛のようなものの結晶と取ることもできる。
一方で、もし家族でなければ、そんな無駄な苦労をする必要はなく、そんなおっさんはとっとと見限ってしまう方がいい。
それが出来ないのが家族というものであり、明らかに悲惨な状況を続けなくてはならないのは、ある種の呪いと言える。

アルコール依存症やDVが原因であればまだ本人が悪いとも言えるので、「そんな父親は家族だろうが捨てるべきだ」と言えるかもしれない。
しかし子供が難病だとか、親が痴呆症になってしまったとか、切り捨てることができない状況であればどうだろうか。
きっと、受け入れて付き合っていくしかない。
それを呪いだというのは、ひどい、優しくない、というのはもちろんだけれど、当事者がその苦労は苦労ではなく、家族として普通のことだと感じられるほど、果たしてみんなそんなに強いだろうか。

僕は子供の頃喘息がひどくて入退院を繰り返していたけれど、ものすごく苦労したはずの両親はどう感じていただろう。
苦し紛れに「なんで僕だけこんなに辛い思いをしなくちゃならないんだ!」と、意地の悪い悪態をついていた僕を。

AFI出身で映画人として超エリートの監督は、映画への造詣が深く、数多くの過去の作品にも影響を受けているらしい。
ホラーというジャンルの成立のさせ方や、観客の裏切り方、メタファーの取り入れ方、全てが堂に入っているし、隙がない。
ちょっと隙が無さすぎて困ってしまう。
ホラーだから、そしてあの圧倒的な雰囲気を放つ少女・チャーリーの存在から「エクソシスト」や「オーメン」を想像させ、その想像を考えられる最も悪質な方法で裏切り、観客を路頭に迷わす手管。

僕らも、あそこで呪いをかけられてしまったのだ。
それ以降はこの家族同様、ストーリー展開に抗うこともできず、なすすべなく振り回されるしか無くなってしまった。

もしこれが演劇くらいの視野の広さで見ることができていたら、ちゃんとブラックコメディとして、時には声を出して笑いながら鑑賞できただろう。
話の中心で盲目的に怖がる人々を、外から笑うことができる。
ドリフのように。
しかしこれは映画だし、こんな形で呪いをかけられてしまった後ではどうしようもない。
家族の一員として振り回されながら、最後まで見届けるしかないのだ。

こんなおぞましいものを作ることができるなんて。
「コッ」っていう舌打ちを、サラウンドで右後ろあたりからなんて絶対に聴かされたくない。
ohassy

ohassy