まりぃくりすてぃ

洗骨のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

洗骨(2018年製作の映画)
1.9
下手じゃないが、陳腐な映画。監督ら沖縄出身者が金儲けのために本土に媚びて作った? ISSAなんかの発狂ぶり(U-U-U.S.A)にもこれにも、、、あっきさみよー。



◆イキガ(男)目線のふざけた無知っぷり◆

洗骨ってものは、男はやらないんだよ。地域や時代で多少の違いはあるだろうけど、基本的には女性(おもに長男嫁ひとり)がそれ押しつけられてきたんだよ。製作者も監督もちゃんと勉強してんのかな?
私の知ってる沖縄出身のおばあさんは、沖縄での最悪な想い出は(戦争や米軍基地のことを除けば)洗骨だ、っていつも語ってたよ。怖いとか気持ち悪いとかいう情緒・感覚の次元じゃなく、肉体的に重労働!!!だったんだって。へばりついた屍肉を骨から剥がすのに力がいっぱい要るんだってさ。男性は儀式の儀礼面を取り仕切ったりして酒飲むばかりで(まあ酒のつきあいもそれはそれで内臓的にハードだろうけども)協力してくれず、女ばかりが細腕を痛めて痛めてイチャ(息)ハーハーしながら屍肉を掻き剥がしてたそうだ。冬なんかは水が冷たいのにさ。
あんなね、おダイコンを畑の傍らで優しく撫で洗うような呑気な作業じゃないんだよ、実際は!!

あとさ、冒頭からあんな妊腹ちゃんが登場すれば、クライマックスに出産ネタを使う、って予想ついちゃう。(誕生と死の対比ふくめて)使い古された手法が必ず悪いわけじゃなく、映画としてのヤマの作り方は今回巧いほうかも。でも、女の苦闘を「イベント感」に直結させる軽薄さが気になった。
しばしば笑えても、コメディーの根底にあるものがもしも不真面目さや不誠実さだったら、寒々しい気持ちになる。今は、、時代が時代だしね。
安倍政権下の「売国」「売県」行為の横行。国民全員で考えなきゃいけない国防の最重要選択の all or nothing を沖縄県民だけが引き受けさせられてきたその末期(まつご)の、今月の県民投票。結果がどうなるか以前に、そういう辛い投票へと沖縄県民を追い込んだ時点で私たち日本人は倫理的に終わってる。どうせ選挙不正も入り込むんだろうな。。
気が滅入るばかりの政治のことはともかくとして、、、、、長男嫁というものを何百年も扱き使ってきた沖縄暗黒史に沖縄出身者自身が目を向けなくてどうするの? この映画のことだよ。1980年代頃までは、沖縄の長男嫁は“嫡子”(次の長男)を産むための機械扱いされて6回、7回、8回、果ては10数回も出産させられたり、産み損ねたことで一方的に離縁されるケース(これは21世紀に入ってからも)がけっこうあったそうだ。そのほか、行事のたびに大量の料理作らされるのがこれまた大負担だったという声もよく聞く。(今でも沖縄では、仏壇抱える本家の長男は次男三男よりも結婚相手としては女性から避けられやすいみたい。本土の平均以上に。)
照屋年之監督は、今回の諸題材にかんしてはもっと慎重なアプローチが必要だったかもね。



◆ないちゃーあびーさんけー/喋り方を改めてよ◆

開始早々「だからよー」(相槌の決まり文句)が発され、よし、ネイティブが作った沖縄シネマだ、味くーたー(こってり)だはず、と期待させたが、以後、味が抜ける。全体として、例えば「マンゴードリンク!」と銘打っておいて果汁はたった1%未満、なふうな詐欺感。
主演男優二人(奥田・筒井)があまりにもナイチャーヂラ(どっから見ても本土の顔立ち)。沖縄にごろごろいる「本土からダイビング目的で慶良間にとか米軍機撮影目的で嘉手納にとか移住したお兄さん・おじさん」にしか見えない。この配役のままで行くんなら、眉を墨で太めてツケマまでするとか南国リアルをよろしくねだ。
顔はまあ不問に付すとして、、、、沖縄県内の21世紀現在の日常会話リアリティー(ウチナーヤマトグチ+純方言+イントネーション違いの標準語、、の自然な混交)がほとんどどこにもない。主演若女優(水崎)、もっとちばりよー(頑張れ)。
末尾に「さー」をつけさえすりゃ沖縄っぽくなるだろう、って考える100円ショップレベルの安直な喋らせは、NHKのちゅらさん作りそっくりであり、もちろん反沖縄的かつ非映画的だ。「さー」ってのはあくまでも東京弁の「よー」の意味しかない言葉だから。
「やしぇ」「やしが」「やっさー」「なー?」「どー」「さーや」「さーね」「よやー」「ばーてー」「やんばーよ」「とーん(ちょーん)」「だはず」「しようね」「であるわけさー」とか末尾語だけでもいくらでもあってしかるべきなのに。もやもや。せめてイントネーションだけでも頑張ろうよ?
年配者同士で島酒飲む時に「かんぱーい」なんて言うわけないじゃん。「かりーちきれー」(またはおどけて「チアーズ」?)だよ。
「あいつはバカヤロウだ」は普通の沖縄人がおそらく一生口にしない言葉の一つだ。もちろん「ふらー」「ふりむん」こそが日夜溢れる。
そして方言ってのは、怒った時や咄嗟の時には純度がぐーーんと上がる。だから序盤のお笑いシーンの「早く行け!」がどうにもまずい。おば(あ)さんが激昂したなら絶対に「へーく行け!」「へーくけーれ!」だ。

関西弁の不自然さを多くの観客(私も)が指摘してた濱口竜介監督の『寝ても覚めても』の残念さなんかが記憶に新しい。。。
でも、石垣島出身の高嶺剛監督の『変魚路』みたいに地元人以外にとってチンプンカンプンなものをぶつけられるのも、じつはお互いに困るわけで、、、せめてまあ、及川善弘監督の佳作『ひまわり 沖縄は忘れない あの日の空を』程度にはちゃんぷるー感をアップしてくれればとりあえずマシだったと思う。高嶺監督の有名作『ウンタマギルー』では全然沖縄人に見えない戸川純のまるっきり東京人でしかない喋りと唄が作品をぶち壊してた。ともかく字幕映画がいい。多すぎない方言交じりを日本語字幕で、というのが商業的にたぶん最善。

沖縄は沖縄を、本土も沖縄を、もっと大事にしたほうがいいよ。


親戚(やきょうだい)の人数が少なすぎるのも実態無視だし。。