えむえすぷらす

ペンギン・ハイウェイのえむえすぷらすのネタバレレビュー・内容・結末

ペンギン・ハイウェイ(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 世界の謎を解き明かす少年の物語。っていうかめっちゃジュブナイルかつハードなSFでした。お姉さんの台詞をきちんと全て聞いておかないと少年の探求の論理性が見えにくい作品でもある。

 劇中2018年6月29日から9月にかけての二カ月あまり。アオヤマくんが大人になるまで3888日〜3748日(エピローグの秋は11/16となる)、少年もお姉さんも声が合っていてその掛け合いが楽しい。脇を固める声優陣も上手い人が多く安心して見てられる。しかもかわいいペンギン描写もすばらしい。予告編から想像もできない世界を見せてくれる。

 お姉さんはある事をしでかしている事はどうも知っていてその謎解きを探偵たる少年くんに頼んだ。そして少年がさぐり出そうとする間に事態は進展して一線を越えて手に負えない事態になった時に仮説と解決手段の可能性を示す。この世界は多分書き換わっていてそれでお姉さんの存在が定義された。そしてその存在を鍵として回せるのは少年しかいなかった。
夏から秋へ。電車の広告が伊勢から古都へ変わった時、ペンギンサーカスの活躍で事態は収拾され別れが訪れる。
世界の果て、死というテーマがある一方で(妹が夜に兄の元に哲学的な死の怖れで泣きついてくるシーンはこれを明確に示す為でもある)時空、世界の果てにある可能性に少年は希望を抱く。

 夏のアニメ作品では一押し。ファミリー向けと思える「ミライ」に比べ幅広い世代が楽しめる作品だと思う。


 似ている作品としては「交響詩編エウレカセブン」が挙げられる。ヒロインの持つ使命自体が謎であり主人公はそれを解き明かし寄り添う事で世界を救う。構図はよく似てますね。
 違いはエウレカには自我と恋愛欲求があるが、お姉さんはおそらく時空世界そのものの一部であり使命が一番だと知っている事。そしてその氏名を達成した後の起きる事も予感している。
 少年アオヤマ君はそれを死ではなく時空の果てに戻るだけなんだと思うようになっている。最後に見出したのは未来への希望なのだろう。果たされない夢なのかそれともいつしか再び出会えるのか。それは観客に委ねられている。
 「アナイアレーション全滅領域」にも近いかもしれない。こちらは灯台のある海岸で起きた世界の変容とその拡大を探る調査隊で先行調査で一人生還した夫の謎を追って女性だけの調査隊に参加した生物学者の奇妙な体験が描かれている、元は小説で評価が高かったところNetflixが映像化した。ペンギンハイウェイは時空世界のつながり方とその謎のあり方がお姉さんと密接に関わる。アナイアレーションは物理事象の変容が核としてあってその事が物語のあり方の差異になっていて興味深い(アナイアレーションはセックス描写があった上でグロい展開も含まれていて本作とは全く異なりますので注意)。

追記:お姉さんの謎の提示
 彼女がやらかしている事はバス終点の「ターミナル」転回所でやって見せて、そして少年アオヤマくんに探偵役を委ねている。彼女は自身が謎ゆえに解き明かす事が出来ない。
 彼女は喫茶店でコウモリを出してしまう。また「不思議の国のアリス」を読み悪夢を見る。そして作中の怪物がペンギンを捕食する者として具現化される。
 彼女は自身の記憶が確かなものだと感じている。でもそれが実在しないものなのではないかと近鉄で「海の街」を目指して生命の危機を感じた時に疑念は持ったはず。
 アオヤマ君以上の情報を観客は提示されている。そして映画でアオヤマくんとお姉さんが行き着く先とそれらは明確な説明はされないがつながりがあるのは分かる。それを辿る事も「ペンギン・ハイウェイ」の楽しみ方の一つだと思う。

追記:性的搾取?消費?という非難について
この主張はお姉さんのルックスとアオヤマくんの「おっぱい」発言、ウチダくんとハマモトさんのアオヤマくん「おっぱい」発言の受容問題から成り立っている。
ウチダくんはおっぱい=性的なもので口にしてはいけないと思っている。アオヤマくんにとっては研究対象でありノートは幾何学的な論考で埋め尽くされている。その上で自室学習机の本棚には女性の体の仕組みのきちんとしたエロではない啓蒙書まで並んでいる。ハマモトさんは「お姉さんにおっぱいがあるから好きでかばう」という論法でアオヤマくんを責めた。アオヤマくんはそれに対して「おっぱいが好きだけど、お姉さんの事はそれと関係なく好きだ」と言ってハマモトさんのアオヤマくんへの恋に直球で打ち砕いている。
アオヤマくんの性的目覚め、エロガキならお姉さんが寝てしまった時にタオルケットを掛けたりスケッチして顔貌について遺伝子だの美しさだの言葉を添えたりはせず、それこそ自身の下半身的動物的衝動の描写に終始したはずだが本作ではそういう描写は皆無。
監督らのインタビューでお姉さんの胸の描き方についてブラの有無など考慮した検討を重ねた話があるんですが、大人のエロスではなくアオヤマくんの憧れである幾何学的な美しさなど彼女の身体的な一部でしかない事をどう表現するかという調整で苦労したんだろうと思った。性的消費批判は多分予見されていて、そういう意図ではない事を描きこもうとしたが、それでもなおそう受け取って非難したい性的描写解釈の人がいるというのは残念な事だと思うけど、予告編もポスターも彼女の事を隠していたわけではなく非難するためにわざわざ見て難詰しているとしか思えない人をどこまで相手にすればいいか疑問は尽きない。お姉さんの胸より作品を見ろよ。これ以外の言葉を思いつけないのが残念だ。