ひば

追想のひばのネタバレレビュー・内容・結末

追想(2018年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

なぜ人は結婚するのだろう。
どうして恋人のままではだめなの?
そう聞かれたとき、今の私なら、そうだな…保険に入れるしお金関係が円滑になるからじゃないかな…と答える。ほんとうに夢がないね。
よく恋人にするなら○○、結婚するなら△△、っていう質問があるけど、『この人と一緒にいたら楽しい』のが恋人で、『この人と一緒にいても嫌じゃない』のが結婚みたいなイメージがありませんか?
私は、結婚とは契約だと思う。~しなくてはならない、~してはならない、~するのが一般とされている、そんな縛りが出てくる。法の下に結ばれる二人が自由を奪われる忍耐の道。取り扱い説明書を上から確認していく、みたいなさ。
映画の舞台は1960年代、ああ確かに色んなことがありました。人権問題がぐっと変化した年代ですね。~はかくあるべきという主題が少しずつ形を崩し始めた時代の節目に置かれた二人の若い男女。確かに哀れな二人は時代の波に飲み込まれ崩壊したとも言える。しかし本当にそれだけか?
愛情に損得を持ち出したら終わりだ。自分はこんなに尽くしたのに何故貴方は何もしない?なんて破滅への道しかない。
99を愛し、どうしても譲れない1があったとき、その1に対してどう出るべきか。映画のように切り離せないセクシャルな問題かもしれないし、他人からすれば心底どうでもよい問題かもしれない。私の答えはまず"知ること"だ。"受け入れること"ではない。そういう人間もいるのだ、と知ること。婚前交渉はアウトとされがちな時代だったようなのでなお話しにくく生きづらかったでしょうね。でもその直前に少しでも話しておくべきだったよね。相手のため相手には秘密のまま自分が我慢することによって二人は幸せになりましたってもうこの文打ってても意味がわからんからね。お互いの目指す到達点をまず知ることが大切だと思いませんか。
自分が田舎者というコンプレックスと自分は枠に収まらない特別な者であるという意識が生む負に舵とられた無意識な思考、結局は~たるもの~であるべき…から逃れられなかったエドワードと保守的ながらも形を変えうまくピースをはめこもうとしたフローレンスのどっちが悪いかなんてわかんないよ。でも、後々フローレンスが結婚した人は、それが実の子供か養子かはさておき、~たるもの~であるべき、から逃れられた人なんだろうね。枷ではなく自由を選べた人なんだろう。結婚して自由になろう、とそう選べた人なんだろう。そう考えると冒頭にあるように私にはやはり結婚は向いてないね。

エドワードの行動のなかでも、ストッキングの件がよかったな~
ストッキング脱がそうとしたとき、自分でやるからって断られフローレンスがすごく綺麗にするする脱いでさ、そのシーン自体はフローレンスの緊張とそしてその行動によって官能的に映るのに、エドワードにとってはそんなことすら不器用な自分にはできないと判断され自分の支配下から抜け出された行動ととられ矜持が傷つけられるって描写になるからよく出来てるよね

一番前の真ん中に座るよって約束したのに、大切な存在しか許されない場所だから後ろの席に座るしかないのはすごく切なかったね…そういうの好き…
衝突前のきらめきと衝突後に残ったきらめきはどちらも二人の人生を彩ったはず。大切なものは大切なまま。美しい記憶は美しいままで。
終わりの、なんとも色味の薄い背景にフローレンスの青だけが静かに消えていくワンカットがとても綺麗で好きでした
ひば

ひば