MasaichiYaguchi

ドヴラートフ レニングラードの作家たちのMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

3.5
今回の新型コロナウイルス感染症拡大で“発表”や“発揮”の場を失った方が大勢いる。
特に甲子園や国体出場を目指していた高校生の中には悔し涙を流しながら“最後の機会”を見送った若者も多数いると思う。
現代ロシアの伝説的作家セルゲイ・ドヴラートフの1971年11月の6日間を切り取って描いた本作を観ていると、その作品の“発表”や才能の“発揮”の場を絶たれた若者たちの焦燥感や絶望感が伝わってきて息苦しくなる。
その“諦念”の発露が主人公ドヴラートフのモノローグとして何度も劇中に登場する。
本作の時代背景には、言論の自由の風が吹いた“雪解け”後に再び訪れた抑圧的な“凍てつき”社会の到来がある。
だからドヴラートフや後にノーベル賞を受賞する詩人ヨシフ・ブロツキーをはじめとしたレニングラードの文学サークル「都会派」の面々は“本業”では食べていけないので、様々な副業をしている。
ドヴラートフも工場新聞のジャーナリストとして意に背くような文章を書かされる仕儀となるのだが…
現代では、YouTubeやSNS等で自分の作品やパフォーマンスを発表している方が余多いるが、ドヴラートフ達にはそのような“環境”もなく、社会主義の管理国家では仮に出来る状況にあったとしても許される筈もない。
作品を発売どころか発売すら許されない社会において、彼らの存在は無きに等しい扱いなのだが、本作のポスターやチラシにある「なにがあろうと オレたちは存在する これからも」という信念を頼りに臥薪嘗胆する若者たちの姿は、時代や国が違っても決して他人事ではないと思う。