海老シュウマイ

空母いぶきの海老シュウマイのレビュー・感想・評価

空母いぶき(2019年製作の映画)
2.0
かわぐちかいじに登場する自衛官は、その力の行使にあたっては、いつも悩み、逡巡してくれるんだけど、実際、そんな悩む余地はないし、悩みを個人に負わせるべきでもないと思う。
マスクの配達やオリンピックの開催にあたって現場の職員さんが逡巡できる余地がどれだけあったかって話なわけで。

佐々木蔵之介のような人物像には期待できないし、もし仮に艦長の個人の考えで攻撃したり、しなかったりする船があったら大問題な気がする。
「いてまえー!」って叫んでくれる愛すべきおっちゃんもいないし、逆に露悪的すぎる西島もいないわけで。

もちろんこれらの表現は、
誰しも西島と佐々木が同居しているのだとか、その対立が日本の「特殊な」現状であり問題提起なのだ、みたいなことも言えなくはないんだろうけど、

結局、人間が血まみれで内臓が飛び出たり四肢がバラバラになったり、あるいは一瞬で消え去ってしまうことを、させたり、同胞がそうなることを「公務」として、国民はカネを払ってやらせて、
「私はおかげさまで安心して暮らせます」って言える覚悟があるかってだけな気がする。

自衛のため抑止力として、というのは、一見、理性的なようで、これまで自衛の名の下に戦争を始めてきた歴史(フセインもウラジミールも)や、
世界中に「侵略をするための軍隊です」って公言する国がどれだけあるんだっけ?という点からすれば、
自衛のためなら必要と言えてしまうことこそが、「平和ボケ」とかお花畑と言われても仕方ない。

とはいえ、かわぐちかいじはそんな真面目なことよりも、「寸止め演舞」をやりたいだけなのよ。
ミサイルや魚雷を発射して盛り上げてからの〜悩んでる風を見せつつ〜自爆。
葛藤描いてるでしょ〜抑制効いてるでしょ〜、みたいな。

今作ではそんなエンタメも自己犠牲精神が変なトコに入ったのか、あるいは単にネタ切れなのか、双方に危険な体当たりをし始めたり、めちゃくちゃになってた。

映画としては、専門用語や固有名詞を避けていて、一般向けチューニングとして仕方ない部分もあったけど物足りなさがあった。
「とーりかーじ」、「うちーかたーはじめー」とか独特な言い回しが好きな身としては寂しいかぎり。
そんなこと言わなくなってる世界線のファンタジーってことなんだろうけど。