湯呑

アイネクライネナハトムジークの湯呑のレビュー・感想・評価

4.5
駐輪場の料金をケチる為の不正行為を注意した事から、織田美緒と久留米和人の高校生カップルは逆ギレしたおっさんと揉み合いになってしまう。すると、たまたま通りがかった和人の父親邦彦が、美緒を指して「この方が誰の娘さんか分かってるんですか?」とおっさんに問いかける。実際は、美緒の父親は居酒屋の店長に過ぎないのだが、その思わせぶりな言い方におっさんは、コイツはその筋の人の愛娘なのか、と一人合点してそそくさと逃げだす。
このシーンの前段に、不正を行う犯人を待ち伏せしようと、それほど親しくもなかったのに誘われた和人が自分を選んだ理由を問い質すと、和人の父親がかなりヤバイ人だという噂を聞いたからだ、と美緒が答える場面があるのだが、その説明を聞いても和人は釈然としない。彼の父親は平凡なサラリーマンで、いつも他人に頭を下げている気の弱い男だったからだ。実際、スクリーンに現れる邦彦も、どう見てもヤバい人間には見えない。いったい、美緒が聞き及んだ噂はどこから生まれたのだろうか。
想像するに、邦彦は息子たちを救ったのと同じ方法によって、かつて誰かから助けられた経験があるのではないか。その時から、邦彦はその筋の人間だ、という噂が周囲に広まる事となった、と考えれば納得がいく。すると、邦彦は誰かから受け継いだ嘘を反復する事で息子を救った事になる。誰かがついた嘘は邦彦を経由して和人にも受け継がれ、ウエイトレスのアルバイトをしていた美緒が、クレーマーに因縁を付けられている場面を目撃した際、和人は父親と全く同じ方法によって美緒を救う事になる。
既に本作をご覧になった方ならお分かりだろうが、『アイネクライネナハトムジーク』では、誰かが他者の言葉や仕草を反復する、というシーンが異様に多い事に気づく。それは伊坂幸太郎の原作を離れた「10年後」のパートに顕著だが、例えば主人公の佐藤は、友人の小田一真が男女の恋愛について語った「良い出会いを探す事に必死になるより、後から良い出会いだった、と思い返す事の方が大事だ」という主張を、そのまま会社の同僚、藤間に問い掛けるのだし、かつていじめられっ子だった少年は、ヘビー級王者に挑むボクサー、ウィンストン小野に対し、観客席から10年前に自分が小野に見せられたとある行為を真似してみせる事で、小野を奮い立たせもする。ウィンストン小野のヘビー級王者への挑戦は10年の時を挟んで2度行われるのだが、どちらも岩手駅前の大型ビジョンで生中継され、歩道橋を歩く人々が足を止めて試合の行方を見守る姿が映し出されるだろう。その傍ら、歩道橋の上でストリートミュージシャンが本作のテーマ曲「小さな夜」を歌うのを、10年前は佐藤と本間紗季が、10年後は和人と美緒が横に並んで耳を傾けている。
先ほど述べた通り、本作は伊坂幸太郎の原作小説に準拠した「10年前」と映画オリジナルの「10年後」のパートに分かれているのだが、監督の今泉力哉は小田が主張する「後から良い出会いだった、と思い返す事の方が大事だ」の「後」とはいつの事なのか、という疑問から「10年後」のパート付け足した、と明かしている。とはいえ、この映画では10年という期間そのものが重要なのではない。こうした長い時間を経て、人々がかつての出会いを「良い」ものだったと認識するきっかけはどこから訪れるのか。それは、自分が誰かから何かを受け継いでいるのだ、と気づいた時なのではないか。
私たちは人生の中で、数多くの人々と出会いそして別れていく。その繰り返しの中で他者の言葉や行いが自分自身を変質させる瞬間が不意に訪れる。他人のものであった筈の言葉や仕草が自分の中に受け継がれ、自分を形成するひとつのパーツとなる。だから、私たちは誰かが残した記憶の集合として今、ここに存在しているのだ。『アイネクライネナハトムジーク』に登場する人々が受け継いでいく反復は、その単純で愛しい事実を指し示している。
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