ともしびのネタバレレビュー・内容・結末

「ともしび」に投稿されたネタバレ・内容・結末

台詞がなくても立ち姿・表情・目の言葉で、主人公の心が伝わりました。
ケーキを持参して孫と息子に会いに行き、孫には愛されても息子に追い払われた時の戸惑い。
その絶望を息子の前で押し殺しても、1人トイレで泣き叫ぶ絶望。
顔の深いシワと息を吐き出しきった心の疲れと目の光の消えた顔。
人生は楽しいときはほんのわずか。
ほとんどは辛いことばかりの連続。
そしてフランス映画らしくエンディングの結末もなく、
見ている人が答えを導きださねばならない。
リアルでした。
1人の老女を追いかけたドキュメンタリーを観ているような映画。
決定的なことや劇的なことは描かれていない。観ている方は、ひたすら彼女の哀しげな気配を感じ取り続けるしかない。
彼女がこの先どうなるのか、考えると胸が詰まる。
イヌっころも手放してしまい、、涙
どんどん孤独になり、静かに追いやられていく老後は見ていてつらい、、
夫が刑務所に収監中で、家に独り暮らしの老婦人アンナ。
芝居サークルに所属し、プールで泳ぐ日もあり、家政婦として働き、時間を見つけては夫に会いに行く。
そんなアンナの日常を、ほぼアンナと同じ目線で横アングルから見つめる映画。
それが妙に気まずい気持ちにさせる。
食事、睡眠、着替え、シャワーさえ。
こんなに彼女の日常を見ているのに、声はほとんど発せられない。
アンナは日常では、喋ることが少ないからだ。
家にいるシーンなんて無言。
音楽もないから、息をひそめて見てしまう。
だからこそ、静けさが際立ってしまう。
何とも孤独な映画。
夫が収監されている理由は明らかにされていないが、どうやら息子ミシェルと確執がある様子。
そのため、最愛の孫息子シャルリーの誕生パーティーにさえ行くことを許されない。
校庭で遊ぶ姿をこっそり見つめることしかできない。
トイレで息を殺し、それでも堪えきれない嗚咽を溢して泣く姿が、アンナが唯一感情を乗せた発声だった。
ラスト、海に打ち上げられたクジラを見に行く。
人が海水をかけてやっても虫の息。
その命の力強さ(ともしび)は弱々しくなっていた。
アンナにとっても…?

解釈として何が正解とは分からない映画。
私は静かな孤独を感じて悲しい気持ちになる映画だった。
セリフの量が少ない
シャーロット・ランプリング目当てで観る。

説明、会話が少なく、観る人によってどんな解釈になるんだろう?

今まで家族というものに守られてきた幸せが、家族によって孤独のどん底につき落とされる。

主人の罪と嘘、息子の拒絶。

ランプリングの弛んだ体、皺のいった顔に、家族に費やした歳月の長さ、失なった時間の重みを思う。

愛とか信頼からではなく、今の日常を送りたいがために、真実から目を背けているとしたら、やはりそこには無理があるのだろう。

タイトルの「ともしび」に希望を託さないと辛い。
シャーロット ランプリングだから成立する映画で、シャーロット ランプリングだから この不毛な感覚を表現できるのかもしれない。。。

彼女が主演した『まぼろし』や『さざなみ』に比べたら かなり 退屈な印象は否めない作品だが…
彼女が演じている年齢にワタシもなれば…
見えるものは あるのだろうか…?!
って 思ったりしたが
いや それとは 違う気もしました…
コレは 彼女のココロの在り方を問う映画である様に思われました。。。

はじめのショットは かなり インパクトがあります。。。(←あとから 演劇の練習とわかります…)
凄く印象的でした…

ワタシ自身は、面白くない映画…って いう印象はなかったですが…
彼女の内面に 焦点を当てた映画で 想像力をフルに生かして見なければ 全くもって置いていかれる映画であります…

でも おそらく ワタシが 彼女の立場なら、このオットは 絶対に無理ですね。。。
生理的に No!…って 感覚ですね。。。

オットが 刑務所に収監される前に
肩を優しく揉む映像…
彼女の姿からは、オットへの嫌悪の情が微塵も感じない…

それは…
息子に 理不尽なまで彼女が拒絶されるのと繋がっているのでしょうか?!
彼女が (罪を犯した)オットを許している…
って 言うのが どこかで透けて見えてしまっているからなのでしょうか…?!

オットが犯した罪がわかった時点で
オットを嫌悪しない…
って言う精神的構造に 彼女の罪があるのでしょうか…?!

今までの生活を頑なに 死守しようとした彼女…

少しずつきしみが見え出し
少しずつ 自分自身が変わっていく…

彼女というフィルターを通して
日常生活で自分が ボンヤリ 良くない事かもしれない…
って わかっていても その生活を変えたくがない為に 見ない様にしている自分自身とも 向き合う映画なんでしょうか?!

そんな事を 思いながら映画を見ていると
本作のラストの彼女は、少しずつ 日常を変えて行こう…と している様に思えました。。。

長い人生を生きてきても
固執し続けたら 自分自身が 最後まで
決して幸せには生きれない…
みたいな…

生きている限りは また 新しく 生きなおせる…みたいな…

そんな事をワタシは思いましたが…
どうなんでしょうか…
美容室に行く時間を遅くして本当は「グリーンブック」の2回目を観に行きたかった(まだレビューしてません。(>人<;))のだけど残念ながら時間が合わず美容室に近いからと今作をチョイスした。
しかしとんでもない映画だった。
空いた時間で気軽に観る映画ではなく、今はずっしり重い気持ちを抱えて帰路に着いている。

「さざなみ」も凄い映画だったが今作はもっと辛辣だった。
夫の元カノどころではない、夫が子供への性的虐待?で収監された設定だった。
はじめはそれが分からず、はっきりと性的虐待とも出てこなくて、私達はドキュメンタリーの様に淡々とただ観せられていくだけ。
全く説明がない。
会話という会話はほとんどなく、演じるシャーロット・ランプリングの表情でのみかすかに心情を読み取っていくだけ。
彼女の演技は演技とも思えず、圧倒的だった。

魚のメイン料理が夫婦の最後の晩餐だった。
何の罪で収監されたかは描かれていない夫をアンナは拘置所?へ送り届ける。
まるで病院へ付き添うかの様にあまりにも落ち着いていて、そこが腑に落ちなかったのだけど、もしかしたらタンスの後ろであれを発見するまで本気で夫の無実を信じていたのだろう。
人になんと思われようがそれを心の拠り所にして離れていても心が繋がっていて、夫の潔白を信じ、無実が証明されるのをひたすら願って待っていたのだろう。
天井のシミを修繕する為に普段は絶対に動かさない筈の重いタンスをずらして、あれはそこにひっそりと隠されていた。
何十年も見つからず、夫はさぞかしほくそ笑んでいた事だろう。
バレるはずがない、と。
上の階で風呂で遊んでいた子供がお湯を溢れさせ階下のアンナの部屋の天井にシミを作った事も神の啓示かもしれない。
悪い事は出来ないという事かもしれない。

「次はいつ来る?」
何も知らない夫は悪びれもせず聞いた。
その問いには答えずアンナは夫の目をじっと見つめ、タンスの後ろで封筒を見つけた事を告げる。
動揺した夫は一瞬固まり、さよならも言わず慌ててその場を立ち去る。
アンナはもう二度と夫に会いに行かないだろう。
いや、もしかしたら私の時間を返してとばかりネチネチやりに行くかもしれない。

腑に落ちないのはもう一つあった。
息子の態度だ。
父が収監されたとしても電話に出ないどころか母には「もう会いに来るな」と取りつく島もなく追い返すのだ。
孫は久し振りに会った祖母に抱きついてきて、誕生会に来てくれた事を喜んでいたのに。
もしかしたらこの孫が夫の被害者?と思ってしまった。
いや、息子自身が幼少期に被害者だったら?
そしたら辻褄が合ってしまう。
母は夫の所業を全く知らない事は考えにくく、その場面に出くわさないまでも薄々感づいていたのかもしれない。
感づいていたのに何も手を打たなかったのかもしれない。
だからあんなに激しく拒絶するのではないか?
だとしたら本当に辛い。
気付かないふりを装ってアンナは家庭内の平和を保とうとしたのかもしれない。

不思議なのは他でアンナが罵倒されず拒絶されない事だ。
この考えは日本人的なのかもしれない。
不思議だけど外国では日本の様に寄ってたかって非難したりしないのかもしれない。
冒頭でいきなり始まった奇声を上げるアンナは演劇か何かのセミナー?講義?を受けていたが、そこの面々は親しすぎなかったまでも家で一緒にセリフを練習する仲間もいたし、アンナは全く拒絶されず受け入れられていた様に見えた。
普段感情を表に出さないアンナはここで大声を出す事により心に溜まったものを吐き出して発散していたと思う。
しかしあれを見つけてから皆の前で演技が出来なくなってしまった。
そこの演技も丁寧でアンナの気持ちが理解できた。
あの後長い階段を降りていくアンナを後ろからずっと撮っている所も長くて階段から落ちるのではと想像してドキドキした。
地下鉄を待っている時間も長くていつ飛び込んでしまうかとドキドキしたがそれもなかった。
でも彼女は飛び込まなかった。
ラストで地下鉄内で以前黒人ダンサーがつかまって踊っていた中央のポールにつかまりうつむくアンナはこれから人生を生き直すというのか。
私にはただ死ねなかったと絶望している様にしか見えず、今日は死ねなかったけどいつかはまた飛び込んでしまうかもしれない。
私にはアンナが何もなくなってここから這い上がり生き直す様には受け止められなかった。

私はアンナを非難するつもりはない。
夫が犯した犯罪によって息子や孫を傷つけ見て見ないふりをした事は非難に値すると思うが、アンナが平和な家庭を保つ為良き妻を演じようとした事は妻として私にも理解できる。
家庭内で誰もが言いたい事を言ってやりたい事をやっていたら誰かがそれを見て見ぬふりして治める事もあると思う。
そうでなければ突き詰めて逃げられなくなりやがて離婚に至るのだと思う。
外国人は日本人と違って事が起こると簡単に離婚している様に思っていたが、アンナの様にじっと耐え忍ぶ外国人女性もいるんだと驚いた程だ。
言いたい事言い合って相性的に上手くいく夫婦もいるとは思うが、連れ添っている歳月が長ければ長いほど目をつむる事も多く、それが家庭の安泰を産むのもよく分かる。
それだけに私には今作はホラーだった。

もしもアンナの様な事が自分の身に降りかかったら?
70歳を過ぎてまだ続いて行くその先の人生をアンナの様に生きていくのは想像するだけで恐ろしい。
かろうじて地下鉄に飛び込まなかった事で生き長らえたアンナはどの様にして起死回生をはかるのか。
岸に打ち上げられた瀕死のクジラの如くそこから巻き返すアンナを想像して明るい未来ではないかもしれないが本当の自分に戻り大声で言いたい事を言って時には泣き時には笑いながら細々とでいいから自分の為に必死で生きてもらいたいと思った。
ただ地下鉄への深い階段を降りて行き、
ホームで電車を待つだけのシーンが
怖くて怖くてたまらなかった

本人には多分、落ち度があるわけでもなく、
なのに夫の容疑から滅入ることばかりが続く
シャーロットランプリング演じるのアンナの口角が上がることがほぼ無い
上がりかけたと思っても、すぐまた下がってしまう
夫のひと言や息子の冷たい仕打ちに、
もう二度と笑顔にはなれないんじゃないかと、そんな風に見える
だんだんと、顔の皺の影が濃くなっていく気がする
そしてとうとう、とどめのように夫の隠し事が見付かってしまう

愛犬を手放す辺りから心配でしかたが無かった
身辺整理のようだから
どうして邦題が、ともしびなのか私には分からなかった
風前の~ということなのだろうか

アンナは、奇声をあげたり、テーマを演じたりする一風変わったワークショップに参加していた
魂を解放するようなスピリチュアルな感じで、私は少し苦手だけれど
きっとアンナは、好きだし楽しかったんだろうに
アンナの周りから一つ一つ無くなっていくのを見届けているようで不安ばかりが募る
そしてブツッと終わってしまって!
そのまま宙ぶらりんだった
タイトル通り、今にも消え入りそうな老女の映画。
音楽が一切なく、セリフもほとんどなく、夫が逮捕されて変わりゆく主人公の日常に浸る時間。
そんな淡々とした装飾のない様が、まるでこのヒロインそのものを表しているようだ。

ストーリーを読み解く鍵がほぼ出てこないので、想像しながら見続けるのみだが、
唯一夫にだけ向ける張り付いた笑顔が、アンナのこれまでの忍耐を表しているようだった。
自分を押し殺し生きてきた人生によって、社会から拒絶され次々と孤独を突きつけられる日々は、観ているだけで苦しくなる。

ここで終わり?というところで終わってしまうが、恐らくそこが彼女の孤独なストーリーのラストであり、電車に乗り込み走り出す彼女の進む先は恐らく新しい人生なのだろう。
鑑賞中はセリフが少なすぎて、
少しうたた寝したてしまったり。

ほんの少しだけ。

そのせいで物語を読み解く集中力がなくなってしまって。

シャーロットがだんだん孤独になっていって、クジラの死体を見に行って。

列車で飛び込み自殺するのかと思いきや、電車に乗り込んで。

よかったなと思いきや、電車にはクジラのペイントが。

これはその後の死を予感させるような。

間の話が読み取れなかったけれども、他の方のレビューでなんとか。

ちゃんと見たかったぜ。
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