教誨師の作品情報・感想・評価

「教誨師」に投稿された感想・評価

キナ

キナの感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

一度観て身体の震えと涙が止まらず、そのまま劇場に居座り二連続で鑑賞。
今年急逝してしまった大杉漣、彼自身を思わずにはいられないシーンも多かった。

6人の多様な死刑囚と教誨師の佐伯との対話、対話、ひたすら対話。たまーに佐伯の回想など。
それを脇に座っている刑務官のようにじっと見て聞いているしかない自分。
しかしそれぞれの対話の様子を区切りながら交互に見せてくれるので、間延びは一切感じなかった。

なぜ死刑になったのか、その犯行の詳細はほとんど語られず、話す言葉の節々で部分的に拾えるくらい。(一人を除いて)
エピソードにはあまり焦点を当てず、各々の人間の中を少しずつあぶり出すつくりが好き。

死刑囚という特殊な状況下の人間と一対一で会話するのは相当な気を使うものだと思う。
受け答えする佐伯の一つ一つの言葉選びにスリルを感じてずっとドキドキしていた。

6人と佐伯が教誨を重ねるごとに変化していく様子が面白く、釘付けになった。
それぞれ濃くて胸打ち震わされて、やっぱり何故か涙がボロボロこぼれてくる。
死刑囚という前提があっても魅力を感じたり、どうしてもそれぞれ思い入れが強くなって、救いを求めてしまう。

・高宮、まずは何と言ってもこの人。
最初はもう本当に不快。人を小馬鹿にした言動、態度や表情に腹が立つこと立つこと。
しかし言ってることは過激だけど正論、共感できる部分もあり、どんどん彼に引き込まれていった。
弁の立つこの厄介な男に佐伯がどう対応していくのか、その段々白熱していくやり取りが非常に面白くて好き。

「どんな命でも生きる権利がある、奪われていい命など無い」という言葉の矛盾。
牛や豚は良いのにイルカは殺してはダメな理由は?どんな人間でも殺してはいけないと言うのに死刑があるのは?
分からない。佐伯は先の言葉を信条としていたのだろうけど、これを問われた時の愕然とした表情は印象的。

お手本のような「聖職者としての言葉」を与え続けるだけでは駄目だった高宮から投げつけられたものが確かに佐伯に大きな変化を与え、その佐伯から「聖職者としては失格」である言葉を受けた高宮が確かに変化した。

今まで自信満々で上から目線だった高宮が初めて弱さと虚しさを少し見せた時の表情や、執行直前のこれから死にゆく時に佐伯に縋るように抱きついた時の表情が目に焼き付いて離れない。
寂しさや恐怖や罪の意識は言葉の連発だけでは拭えないもので。
佐伯が言ったように心の底で求めていた許しを少しでも受けられたと感じられたら良い。

執行時、マスクをかけられ「あれ?」と一つだけ溢した彼は何を思ったのだろうか。

・進藤、6人の中で一番明確な救いを得た人。
字も分からない彼はお人好しでどこか子供のような所があり、かなり純粋に思える発言もチラホラ。
そんな言葉の端々でハッとさせられることも多かった。
「桜は自分のことを桜とは思っていないでしょう?」というセリフが好き。

字と祈りを教えてもらい、キリスト教の神の寛大さに感銘を受けた様子が何となく可愛い。
彼のラストシーンはかなり胸に刺さった。
おそらく脳梗塞を発症しコミュニケーションもろくに出来なさそうな状態で洗礼を受け、大切なグラビア写真を佐伯に渡す姿に大きな救いを感じる。

そして最後、写真に書かれていた聖書の一節。
「あなたがたのうち、だれがわたしをつみにとえるだろうか」(たしかこんな感じだった)「せめうるだろうか」だったかな…
家にある聖書で猛烈に探したところ、ヨハネの福音書8章46節にある、キリストが言った言葉とほぼ同じ。訳し方の差はあるかもしれないけど。

進藤は何を持ってこの言葉を書き、佐伯に渡したのだろうか。
聖書では、キリストが神の子であることを疑い悪霊に取り憑かれているんだと言う人々に投げかけた言葉だった。
もしかしたら、借金の連帯保証人を受け入れてしまった時のように殺人などの罪を被せられてしまった冤罪の人なのかもしれない。

・鈴木、蓋を開けたらめちゃくちゃヤバい奴だった。
ギュッと目をつぶり自ら話すことをしない姿には、嫌な言い方だけど、一番分かりやすい死刑囚らしさを感じた。
罪悪感と死への恐怖に苛まれているのかなと思いきや。
佐伯の兄の話をキッカケにやっと話し始めたと思ったらまさかのストーカー精神モロ出し。
自分よりも被害者達を責めて疑わない姿勢にゾッとした。

鶴野さんが謝ってくれた!とスッキリしたように笑いながら話す彼には、ある意味救いが訪れたんだと思う。
あくまでも鈴木自身だけのことを考えるならそれで安らかになれるなら良いけど、そんな安らかさなんていらないじゃないかとも思う。
嫌な言い方だけど、一番分かりやすい犯罪者らしさを感じた。

・小川、6人の中で唯一犯行について詳しく話した人。
俯き加減でたどたどしく話す気弱な彼の、家族を思う心や犯行に至るまでの経緯の話を聞くと、到底死刑になるものとは思えない。それが真実ならば。
警察の捜査における問題や司法の在り方に微かに触れて終わってしまう彼の話にとても悲しくなった。

きっと小川のように訳のわからないまま重刑を背負ったままの人が現実にもいるんだろう。
あってはならない事なのに無くならないのは結局他人が罪の重さを判断しなければいけないからで、客観的証拠や自供が重視されるからで。杜撰なものだとしても。
裁判のやり直しを、と言い始める佐伯に何もかも諦めたように制止する小川に胸が痛くなる。
最後に礼を言った彼に、佐伯の気持ちが伝わっていれば良いなと思う。

・野口、よく喋る大阪のオバチャン。
エヘヘッと笑う顔がなんともチャーミング。
繰り出されるマシンガントークが結構面白くて、野口のパートではだいぶ笑わされた。
しかしリストカットの跡や自分の話を邪魔されると途端にキレ始め激昂する彼女にはやはり不安定なものを感じる。
教誨室をドタドタ出て行く際に刑務官に「良い加減にしてください!」と言われていたことから、今までも相当色々あったのかと思われる。

実在しないハゲのおっちゃんのことをどんな気持ちで話しているんだろうか。たまに出てくる不動産王の彼もいないんじゃないか。
度々「ここを出たら美容室を開くねん」と話していることから、死刑を未だ受け入れずその逃げられない恐怖から少しでも精神を均衡に保つために話し続けているのかなと思った。
自覚があるのか無いのかは分からないけどその数々の作り話は確かに野口を救っているのかもしれない。

・吉田、気さくな酒好きヤクザ。
一番安定しているように見え、教会の子供達にプレゼントを手配するなど気の良さもしばしば見える。
しかし実はいつ来るかもわからない執行の日に一番過敏に反応して反発していたのは彼だった。
押すなよ、押すなよ…押せよ!的なやり取りが痛々しくて堪らなくなる。

そして佐伯保。
教誨を始めてまだ半年。慎重に言葉を選び決して押し付けず否定せずの姿勢は上手だけど、それが裏目に出ることも。
正直最初は彼の言葉にどこか上っ面な部分を感じることもあったが、対話を重ねるにつれて言葉に重みや深みが加わっていくのをひしひしと感じる。
そこに至るまで相当悩み苦しんだだろうな。

兄の一件、カレンダーが倒れる訳には色々と衝撃だった。
昔は「逃げよう」と言っていた佐伯が「逃げない」と強く言い放つシーンが好き。
生きる意味も死ぬ意味も分からず、虚しさを感じながらも目の前の人物に向き合い知ろうとするのは容易くないのに。その決心が高宮を突いたのかも。

最後にチラッとわかる佐伯の素の顔、酒飲むんかい!っていう。
対話の時には見えなかった彼が見られて嬉しい気持ちになった。
牧師も人間、建前と本音を使い分けるのも当たり前のことで、流石に教誨の場で「いやあ私も最近飲みすぎって妻に叱られちゃってね〜」なんて言えるわけもないだろうな。

何となく、小川と鈴木は今後はもう教誨を受けないんじゃないかと思った。
野口はあのまま変わらずお喋りをしに来ていて、吉田は自分が執行されなかったことに安心して「この間はすみませんネェ」とか言いながらまた教誨室にやって来るように思う。
そして佐伯はこれからも囚人たちの穴をじっと見つめ続けるんだと。

「なぜ生きるのか」と何回も問われる映画だった。
分かるはずもない、分かる人なんていない。
ただこの世に生を受けて、寿命を消費する中で苦しいこともありつつ、少しでも好きなものや楽しいことを感じて生きていきたいと私は思う。そう思えること自体が既に幸せなのかもしれない。
佐伯が囚人たちに向けた言葉、囚人たちが佐伯に向けた言葉の数々は自分にも大きく響き、時には私に話しかけられているような気分になることもあった。

死刑囚にとっての救いは一般社会で普通に生きている私たちにとっての救いではない。
どんな人間的魅力があろうと犯した罪は消えない。
それでもこうして一人一人見ていくと、彼らを知りたいという気持ちも湧いてくる。

死に際近い老いでも病気でもなく、不意の事故でも不条理に命を狙われている訳でもなく、悪魔に魂を奪われようとしているわけでもなく。
犯した罪の代償に、色々な制限の中でやる事の少ない日々を中途半端に生かされ、いつか必ず来る死刑執行の時を待つ生活。
死刑囚達の気持ちも教誨師の気持ちもどうしたって理解出来るものではなく、それでもあの時の彼らは何を思ってどういう感情だったのか、と考えずにいられない。
6人の死刑囚と月2回面会を行い、心安らかに“ 死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞く教誨師の話。
音楽も無く、ほぼ全てのシーンが椅子に座って話す映画なので飽きないか心配だったけど、死刑囚も人間なので癖があり、飽きない。
悔い改めても改めなくても死ぬ時は怖いっていうのがハッキリ分かる、現実逃避しがちになるんだろうな~っていう知恵の無い人間の感想。
玉置玲央さん、見応えしかない。
そして初プロデュース作品で最後の主演映画となる大杉漣さん、素敵です。
arisa

arisaの感想・評価

5.0
"人の不平等さ"が痛いくらいわかる映画。

他人を見下したり、感情的や論理的になったりするところは、人間誰もが共通している部分。

なのに、人間が人間を裁いていいの?
人の共通部分は無視して、人を殺したか殺してないかで裁いていく。
法で、人を殺してはいけないと言われいるのに、なぜ死刑は許されるの?矛盾してない?

最後のシーンの「あなたがたのうち だれがわたしに つみがあるとせめうるのか」がグッときた。


"生と死は紙一重。だからこそ、死がこわい。"
死刑囚と隣り合わせの教誨師目線での映画だったので、生と死について考えさせられる。


低予算?なのに、ここまで深い内容は初めて。何回見ても、飽きないような映画な気くする。
実際の事件に寄せた受刑者が何人か出てきたのが気になって、冷静な判断が出来ないでいる。それでいてこれが大杉漣の主演作としては最後になってしまうのが勿体ないとばかり思い余計にフラットに見れなくさせてしまう。

「あの」受刑者が統合失調症であることから、あの犯罪者に重ねて描いた物だろうと固く考えている。そして実際あの受刑者のウェートがこの作品は大きい。この映画そのものが「あの犯罪者の」穴を見つめる側にいようというする欺瞞になりかねないと考えてしまう。あるいは屈服する瞬間を観たいという欲を。「あの殺人者」が死の恐怖に慄き、大杉漣へ赦しを求める瞬間にピークを持っていっているように見えてしまって、むしろ彼の存在がなければ救いのない「ワンタダフルライフ」として存在できたんじゃないかと私の超個人的な見解...。

教誨師への個人告解という体で実際は人と話す時間が欲しいだけ、自分の人生の再確認をしたいだけであることを教誨師の大杉漣もそれを理解していて、信仰が目的/目標ではない。双方が告解という容れ物に入り、それをなぞったプレイに終始するが終わった時にはそれぞれは今までの自分自身とは違う自分になっているというのは良かったんだ。編集がダメなら舞台をそのまま映画にしただけになりそうなものをシームレスに繋いでいたし、それぞれの受刑者たちの間を渡りつぐ大杉漣自身の自我の彷徨いにも見えるし良いところも沢山ある映画。フィクションの中に落とし込まれた実際の犯罪/犯罪者、史実を元にしたフィクションについて色々考えていたところで最悪のタイミングで観てしまった気がするんだが、好みな部分と受け入れがたい部分が同じくらいあった作品だった。

ある受刑者が入信への話をする時に折りたたんだグラビアアイドルのポスターを見せるというのは秀逸な演出で、スコセッシの「沈黙」のことを思い出させた。

(今回は未採点とします)
深すぎて、作品のどこを切り取って語れば良いのか分かりません。

大杉漣さんの最期の主演作であることはまず述べなければなりません。

生きるとは何かという問いさえ、陳腐に響いてしまうので、それも違う気がします。

クリスマスの華やかな時期に執行される死刑。

どこか我々は知ることも論じることも意図的に遠ざけられてしまっているような感覚に陥る死刑制度について、死刑囚と教誨師の対話から考える作品なのでしょうか。

宗教の役割を死刑制度との関連から考える作品なのでしょうか。

この作品は何を伝えているのか?という問いの答えを鑑賞者の我々に容易には与えてくれません。

むしろ、「皆さん、それぞれ何を伝えているのか自分で仮説を立てて考えて下さい」とダイレクトに言われているような作品だと思います。
最近思う事が有ります。

映画鑑賞のサイクルが大分遅くなっていますが私の楽しみであるので鑑賞は続けたいと思います。

鑑賞した作品をアップする時に感じています。

3000レビューが近づいていますが同じ様な変化のないコメントが多くなっています。

したがって今後の投稿は記録として残す事を趣旨とします。

鑑賞日と評価の記録のみが多くなると思います。

鑑賞日:WOWOW録画鑑賞 2019-9-8

評価 :3.8
hiyori

hiyoriの感想・評価

3.7
大杉漣の遺作にしてキネマ旬報ベストテンにも選ばれた作品。この映画の最も大きな特徴として、面会室における死刑囚との対話が全編の9割以上を占めていることだ。やや異色な形で強引でも、物語としてのプロットに引きずられないところに、作り手の気概と邦画の真の魅力があると感じた。ただそれだけ観る側にも覚悟が必要だというところが邦画と人々の距離感を生んでるとも言える。そのようなことを一番感じる映画だった。
その構成故に役者の演技に委ねられているところは非常に大きかったが、それに十分対応できていた。死刑囚側も大分癖のある役者が揃っているのだが、やはり大杉漣の演技は素晴らしい。他者を死と向き合わせる教誨師から、自らの罪と対峙する一人の人間への変化を受けの演技だけで表現した。刑を執行することが贖罪ではないから、死から目を背けても自ら自分を裁かなければならない。その矛盾が彼らに与えた代償は大きい。
cazfornia

cazforniaの感想・評価

2.0
179(7)
大杉漣の遺作だからもっと高評価したいけど、、、
死刑囚になった原因を全員分知りたかった。
教誨師ってそもそも必要なのかな
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