三上新吾

エイス・グレード 世界でいちばんクールな私への三上新吾のレビュー・感想・評価

4.7
独白から始まる。
彼女が自意識に溢れていて、学校ではそんな自意識に苦しめられて無口になっており、しかしそのイメージを変えたい。
だから背伸びしておめかしして投稿用のビデオをとり、自分に言い聞かせるような内容の話をしている。
数分で彼女の学校生活、それをどう思ってるか、自分をどう変えたいか、が言語的にも非言語的にも伝わってくる。

学校の点描は彼女の置かれている人的環境、身体的変化を端的に説明する。つまり皆が通ってきた魔窟、学校。

合奏のシーン?

イケてる子のパーティへのお誘い。
もしかしたら優しい子でこっちに気を使ってるのかも?とも思う。

SNS世代。自分の殻に入って父親との会話に身が入らない。
過干渉ぎみだがいい父親。母親はいないようだ。
イケてない娘を心配している。
父親には自分を出せる娘。でもうまく行っていないように見える二人。

SNSにいるイケてるみんなと自分を比べてしまう自意識過剰な年頃。
お誘い、エイデン、割れたスマホは何かを暗示または象徴。

独白が行動の説明。

魔窟。
エイデン。

治外法権くん。こういう子に意外と助けられる。ある種、ケイラにとっては彼が理想のモデルだ、勝負の仕方を教えてくれている。が、気づかない。
苦しい水中でいかに息を止めていられるか、これはメタファーだ。

届かないコメント、カードゲームのずれ、たまらん。マイナス。

好きな人ととにかく話せた。
カラオケ、サスペンス?プラス!

やりたいことリスト、プラスであり彼女の心情の説明。
話しかけられた、とにかくプラス。

踏み出す主人公、応援したくなる。

バナナサスペンス、マイナス。

明日は体験入学だな。
私のことは心配しないで。
いい一日になりますように。
説明は感情でコーティング。
また父との関係はサブプロット。

いい一日、プラス!
電話、タルい部分は省いていい。
お出かけ、更にプラス!

サブプロットとしての父。

高校生なんてとっくに年下だが映画を見ている間はお姉さんだ。

会話に入れない悲しさ。
父との関係性。マイナスマイナス。

思想家が迫ってくる。
マイナス。
なにもかもマイナス。

動画での偽りの自分を告白。
問題を直視する行為。それはとても勇気のいることで、応援したくなる。

冒頭でスポンジボブを見つめていた意味がここに来てワッと分かる仕組み、ゲキシブ!!

イケてない自分が親に申し訳ない子供。

無条件で全肯定してくれる家族という存在価値。

言ったった!!プラス。

ゲイブの存在最高だな。

ラスト最高。



ああ〜ケイラが愛しいんだ〜
ダメダメな中学最後の1週間は、ダメダメなまま終わる。
安易なハッピーエンドにはならないのは現実的だ。

この映画はケイラに感情移入することで、アトラクションのように「イケてない青春」を擬似体験(追体験)させてくれる。
「イケてない青春」が「イケてる青春」に逆転出来た人なんて殆どいないだろう。
だからこの映画はハッピーエンドになった場合、そのアトラクションから観るものを振り落とすことになってしまっていただろう。
エンディングの素晴らしかったところは、観るものをそのまま「イケてない青春」の出口まで乗せていってくれたこと。
でもそこは物語の力学が働いて、本当のアトラクションと違い、降り口は乗り口より高い次元にある。
感情的な一喜一憂の景色を楽しみながら、いつの間にかケイラのたどり着いた境地(イケてなくても時間はすぎるし、何が起こるか分からないからまた自分に期待してあげるんだ、自分を心から信じてくれている人がいるんだし)に連れていってくれる。
これこそ物語の力だなぁ。

なんて健気なんだ〜。

自意識がどんどん止めどなく肥大していく思春期に自分に沢山言葉を送っていた自身の体験と重なってブチ上がりました。

【何故ここまでケイラに感情移入出来たか】
何度も濃厚に描かれるのは、ケイラのなりたい自分と現実の自分のギャップ。
それは多分殆ど全ての人間に共感可能な自己嫌悪の気持ち。
大事なのは、観るものの「自認」を画面に現すこと。
そしてそれにうってつけなのが「一人の時間」。

【放置していい】
アイデンとの関係のその先やケネディたちとの関係は、帰結らしい帰結もなく、ゲイブとの関係も発展の兆しのみだ。
それでもいい、その方がいい。
三上新吾

三上新吾