ちろる

ローマ法王フランシスコのちろるのレビュー・感想・評価

ローマ法王フランシスコ(2018年製作の映画)
4.5
ここ最近で一番観る意義のあるドキュメンタリーだと思った。
これを挙げてくれたNetflixさんありがとうございます。

私は幼稚園から大学までカトリックで、教会も聖書も普通の人よりは少し身近だった。
そんでもって子供の頃先生に教わったのは、
「この地球上でもっとも偉いのは天皇でも、アメリカの大統領でもイギリスの女王でもなくて、バチカンにいるローマ法王だ」
という事。
「へぇーあの頭になんかのせてるおじいちゃんがこの世界でのけんりょくしゃなのね。」
って子供なりに理解しながらも実際は洗礼はしなかった。する気もなかった。
「信じるものは救われる。」ってなんだ?
経験なクリスチャンじゃないと天国いけないとか何?と疑問に思ってたし、映画で腐敗しきったキリスト教がテーマの作品を結構見てしまったからなのかもしれない。

ガチガチに規律で縛った厳粛なカトリックから遠ざかって何年か過ぎてから2013年、私は忘れかけていたバチカン再び興味を持つことになった。
コンクラーベで選ばれたのは初の南米出身の貧しい家庭から育った、ベルゴリオ。
激動の時代に過去に沢山の痛みを抱え、最もリベラルな視点彼が奇跡的に世界の頂点に立ったのだ。

未だかつて世界中がここまで「ローマ教皇」に熱狂したことなどあっただろうか?
腐敗した聖職者たちに反感がつのり、その存在の意義さえも崩れかけていた時代に突如と現れたベルゴリオ(現フランシスコ)。
彼は世界中どこにでも快く向かう。
スラムの地域の貧しい人々に心を痛めながらハグをする。
イスラム教難民をバチカンに招き入れ住まわせたりもする。
どこの国かも、宗教なにか、セクシャリティーの差別こだわりは本当は必要ない。
皆さん武器も憎しみの心も捨てて、汝の敵を愛してくださいと訴え続ける。

強烈に彼の想いが伝わったのは中でも刑務所で囚人たちにその手で足を洗いその足に心からのキスをしたシーン。
それは、罪を犯した人の汚れた足は洗い流さなければいけないとしても、清めた足になった彼らに居場所を与えて欲しいと祈る。

薬物乱用、盗み、時には殺しどれも許されないことだけど、どうか許しを乞う時間を与えてあげてほしい。
(権力や地位によって弱者を搾取する罪人は別として)
憎むべきは彼らをそうさせた、心の傷や弱さ、そして貧困なのだから、心を洗い流せば社会に戻れるという世界になぜならないのだろうか?と理想主義の聞き過ぎた現代を嘆く。

またこのドキュメンタリーの興味深いところは、フランシスコ会の創設者でもあるアッシジの聖フランシスコの再現映像を並行して見せて、「聖職者」とはなんぞやの真髄を分かりやすく見せてくれているところだ。
そして、人を愛し、そして地球の恵みを愛し、自らは貧しい生活を徹底させる現フランシスコと、聖フランシスコ2人の姿を同時に見せる事で、暗に彼こそがアッシジの聖フランシスコの生まれ変わりなのではと監督が示唆しているようにも感じたし、少なくても彼の後ろにアッシジの聖フランシスコの面影を感じたのだろう。

現フランシスコ教皇の投げかける言葉は聞く人々に想像力を持たせて、このままの汚れた世界をなんとかしようと思わせるモーターのような力がある。
彼がカメラに向かって真っ直ぐ語りかける映像は、まるで彼と対峙しているような気持ちになり、キリスト教信者になれなくても彼のことだけは信じようと思える。

「ローマ法王になるまで」も、「2人のローマ法王」もどちらも素晴らしい作品だったけれど、就任後の彼の偉業を知るにはこれが1番だし、映像としても巨匠ヴェム・ヴェンダーズが独自の視点で愛を込めて撮影したこちらが一番見応えがある。

この世の中の必要なものは笑顔とユーモアと言い切った彼は、確かにどんな時もその言葉の通りいつでも心からの笑顔を咲かせ、スピーチにユーモアを混ぜていた。
あの無邪気な笑顔。
好きすぎる。

彼がこの激動の時代に世界のトップに立ったことに、何らかの意味があると私は思いたい。
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