小松屋たから

影踏みの小松屋たからのレビュー・感想・評価

影踏み(2019年製作の映画)
3.2
掴みどころのない不思議な映画だった。サスペンス、ミステリー、ノワール、ハードボイルド、ファンタジー、一人の男が人生を取り戻すヒューマンストーリーとあらゆる顔を持つ。ただ、これは、裏を返せば映画の方向性が定まっておらず、どの要素も中途半端になっていることの表れとも言え、イチ観客としては最後までどの方向を向いて何を観たら良いのかわからないまま、客席に放り出されたような感覚がある。

双子であるがゆえに、自分の独立性、個性をより強くアピールしなくてはならなくなること、そして、一卵性双生児なら、なおさら互いに競争心とコンプレックスを同時に抱えていて、生きていようが死んでいようが、忘れがたき良き相談相手であり、喧嘩相手でもある、ということはなんとなくわかる。

しかし、それであれば、二人は、刑務所の中では一緒じゃなかったのか? という疑問がまずは浮かぶし、役者の年齢差はともかく顔だけでなくキャスティングや演出で補えるはずの生来の空気感が似ていないことはあまりよくないのではないか。

また、ダブルヒロイン風になり、主人公の想いが二人の女性に分散しているようにも見え、物語がより散漫になることで尾野真千子、中村ゆりのそれぞれの魅力を生かせていなかった。

これらは、主演の双子についてだけでは無く、尾野真千子演じる女性が、今と過去の回想の時では、顔だけでなく仕草も(上手い下手ではなく)まったく似ていないことへの違和感の原因にも通じているかもしれない。

この映画、全体が何かぎこち無く感じられてしまうのは、「誰かが、あるメッセージを伝えたかった」というピュアなきっかけからではなく、有名原作者作品の権利獲得と監督と縁のある人気アーティストの主演が成立したことで映画化を決定、そして、それらに頼って著名キャストを集めればなんとかなると、割と安易に考えた結果、ということはないだろうか。

「愛がなんだ」「カメ止め」に象徴されるように、作品によっては、最近、映画の観客の目は必ずしも役者の知名度には重きをおいていない。また、映画や世界配信のドラマでまったく知らない役者さんしか出ていない作品でも面白く観られるようになってきている。

だから、邦画も「知ってる顔」を集める努力よりも、脚本づくりにまずは力を注いでいくべきではないかと思う。本作ももっと、初めからファンタジー色を強めて、過去と現在、自己と他人の人格が自由自在に交錯する「ご近所インセプション」のような前衛的な作品にしたら、面白い挑戦になったかもしれない。

でも、そうしたら、大きな配給会社はつかないのかな・・。