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多十郎殉愛記のKeithKHのレビュー・感想・評価

多十郎殉愛記(2019年製作の映画)
4.2
M.I.シリーズや、今一世を風靡するアメコミ原作の実写版作品群、そして半世紀以上に亘り作り続けられている007シリーズ、これらは“アクション映画”といわれ、古今東西遍く人気を博している映画ジャンルですが、日本映画では都市での高速カーチェイスや激烈な銃撃戦はあまりに現実感に乏しくて空々しく見え、ヒットした作品はあまりありません。
日本映画における緊張感と迫真性を伴う唯一“のアクション”こそ、時代劇のチャンバラ=剣戟立ち回りだと思います。

20世紀初頭の活動写真勃興期には、忍者もの、股旅・侠客ものを含め、専ら時代劇のチャンバラが観衆から大喝采を受け、映画を一気に国民的娯楽に昇華させていったといえます。
尾上松之助に始まり、新国劇の祖・澤田正二郎の鋭い剣捌き、阪東妻三郎の驚異的敏捷性による驚異の殺陣、サイレント末期の七剣聖、伊藤大輔-大河内傳次郎による怪異で無双な剣、時代が下って『用心棒』『椿三十郎』の黒澤明-三船敏郎-久世竜による革命的立ち回り、『三匹の侍』の緊迫感溢れる効果音、次々と進化してきたチャンバラが映画ファンを魅了してきたのであり、いわば映画の面白味・醍醐味の原点にあるのが、生死の境目での人と人との生身の激突です。洋画の銃撃戦では、譬え西部劇でも、この皮膚感覚に訴える生理的恐怖感と肉体的迫力は醸せません。ハラハラドキドキ、期待と不安と怖さを掻き立たせ、手に汗握らせることは、将に嘗てマキノ光雄が提唱した映画の三要素(他は、笑わせること、泣かせること)の重要な一つです。

本作は、謳い文句にあるように平成最後の“ちゃんばら”時代劇であり、名匠・中島貞夫監督が徹底してチャンバラに拘り、その妙味を縦横無尽に繰り広げ見せ尽くしてくれました。ラスト30分に及ぶ主人公・多十郎と次々と繰り出す追っ手との死闘は、多十郎役の高良健吾の腰が据わった迫真の剣捌きと立ち回りにより、カラミの巧さもあって、将に手に汗を握らせる緊迫感と恐怖感と不安感に陥れてくれました。
実に久々に本格的時代劇でのチャンバラを堪能しました。殊に竹林での立ち回りは多十郎の殺気と狂気がスクリーン一杯に拡がり、畏怖の念を禁じ得ませんでした。

冒頭のタイトルクレジットにもあるように、本作は、時代劇の巨匠・伊藤大輔監督の名作時代劇『長恨』(1926)を擬えていますが、圧倒的多数の敵に取り囲まれて逃げ捲りながら無謀で大胆な闘いを挑む姿は、阪妻や後世の市川雷蔵による『雄呂血』を彷彿させました。阪妻ほどの軽快さはなくとも剣一振り一振りの重量感は十分に伝わり、雷蔵のような妖気や悲愴感はなくとも強烈な生きるための執念が剣筋一つ一つに弾けていました。
夢も希望もなく、大義もない、生きる縁も何もなく、荒んだ心でただその日その日を漫然と生きる無頼の輩が、最後に己の命を懸けて守るものを見出せた。慈悲と慈愛に満ちた一人の女のため、そして実の弟のために剣を握る。しかしその剣は、己が生きるがためではなく、守る人を逃がすための剣であり、只管逃げ、只管威嚇し、挙句に人質まで取る卑怯者の剣。しかし初めて剣を振るう意義を見出した、究極の愛の証の剣であったと思います。
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