Daisuke

若おかみは小学生!のDaisukeのレビュー・感想・評価

若おかみは小学生!(2018年製作の映画)
4.1
[静と動]

周りの映画好きやフォロワーの方に強くお勧めされていて、調べてみたら「那須 アンダルシアの夏」の監督さんという事で興味を持ち鑑賞。
結果、ポスターのヴィジュアルからは印象が異なる作品だった。

自分は一切情報を入れずに鑑賞したため、この物語が単に「小さな女の子が旅館を継ぐ事になり、てんやわんやで成長していく」明るく楽しい物語だと思っていた。
しかし核となる部分は絵柄のように明るく楽しい部分ではない。
私が先ほど鑑賞した劇場では、エンドロール後にまだ涙が抑えられず、立てない女性を数人見かけるほどだった。(本当に)

それを考えると、この物語は単なる成長物語というより、成長前における「修復」の方に重点を置いた物語だったように思う。

この作品の元は児童文学との事で、私は全く知らなかったが、この監督の過去作は知っている。私はアンダルシアの夏よりも、好きな方があまりいない続編「那須 スーツケースの渡り鳥」の方が好きだった。
スーツケースの渡り鳥は序盤から「死」というものがこびり付いている(※マルコ・ロンダニーニの自殺)
チョッチというキャラクターは同郷であるこのマルコの死が重く心にのしかかっている所から、ロードレースという厳しい世界に何故自分はいるのか?を考え始めるのだ。

すぐそこにある死と、そこから見る自分の居場所(今)。そして過去(死)との決別。

初めこの監督さんが何故この作品を選んで制作したのかわからなかったが、最後まで観ると「スーツケースの渡り鳥」の本質の部分は今作「若おかみは小学生!」と同一のものだと思った。

今作で特に興味深かったのは「静と動」の部分だ。主人公は画面の中をアニメーションらしいカラフルな色彩とオーバーリアクションで疾走し、時に静止する。
アニメーションの映像における「動」という部分は、オーバーなリアクションにするため心理状態として「幸福状態」として使われる事が多く(例 ジブリアニメの飛んだり跳ねたりするイメージ)、逆に「静」は静止であり、アニメは実写のように微細な動きは難しく、止まった絵は死んだように見えてしまうため静かな動きほど「元気の無い状態」「思考状態」のような使われ方になりやすい(演出次第だけれど)

しかし、この監督はロードバイクを題材にした時から自分はこの使い方があえて「逆」になっている事が魅力的だった。
ロードバイクは常に失踪しているため、そのレース最中にドラマが展開する。なので映像として疾走してる時ほど逆に苦しみが描かれ、自転車を止めた(つまり映像としては静止状態)時に苦しみから解放される。

では今作はどうだっただろうか。
私がこの映画が魅力的であり、かつ心を震わせたのはまさにその部分だ。
主人公が画面狭しと躍動している時は常にカラフルで明るい表情だ。
しかし、彼女はただ若おかみになろうと頑張ってるわけでも、アニメーション的に遊んでるわけでもない。
過去作からもわかるように、あの「動」の裏側には、その見た目とは対照的な心情がこれでもかと詰め込まれている。

この物語は、
彼女がその自ら縛った「動」から
「静(生)」へと向き合う物語だったのではないだろうか。
Daisuke

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